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【無料公開】『リゼロ』短編集4「高慢と偏屈とゾンビ」|43巻発売&第九章クライマックス直前記念

MF文庫J
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2025/12/18

   11

 ヤエ・テンゼンが地下へ足を踏み入れたのは、すでに全てが終わったあとだった。
「うひゃ~、鼻が曲がりそう」
 腐肉と汚水が混ざり合い、気が遠くなるような悪臭を嗅いでヤエが顔をしかめる。
 夜目が利く体質のため、ヤエは暗闇の中に明かりを持たない。ただし、薄闇に浮かび上がるその光景は、夜目の訓練を受けたことを後悔するような地獄絵図だった。
 死体、死体、死体。右を見ても左を見ても、死体、死体、死体の山だ。
 ヤエの半生を思えば、死体を見ることなど珍しいことでも何でもないが、ここまで人の尊厳を奪われた死体はそうそうない。拷問や凌辱とは異なり、一切の無価値を断じられたように打ち捨てられる、不憫な人生の末路が山とある。
「この状況で、奥様の指示に従う私ってめちゃめちゃ忠誠心ありますよね~。でも、やっぱり万一ってのは一万回に一回しか起きないもんですよ。これだと……」
 落ちた同僚の姿を捜してここまできたが、やはり生存は絶望的だろう。この地下空間へくるまで結構な苦労があったが、実際に下りてみてその深さに辟易とした。
 屋敷の床下から数十メートル、ヤエだって転落死しかねない高さである。
 床下にこんな空間を作るなんて、考えただけでも嫌になる。おそらく、そこここに転がる死体こそが、その重労働に従事した貴重な労働力だったのだろう。屍人は文句も言わないし、自分の墓穴を掘らせるという意味では適材適所と言えなくもない。
「ま~、同僚としては身嗜みって点で落第ですか。そういう意味だと、アル様も屍人とどっこいでしたけど、ギリギリで清潔感だけはありましたからね~」
 故にかろうじて、同僚としての好感度はアルの方に天秤が傾く。正直、屍人と勝負していい勝負になる時点でどうかと思わなくもないが――、
「……ゾンビと並べていい勝負って、あんま勝っても嬉しくねぇな」
「わお」
 通路の端を歩いて、せめて腐汁の被害を最小限にと努めていたヤエは、その不意打ち気味の声に驚いて顔を上げ、薄闇にぼんやり浮かんだ人影にさらに驚く。
 幽鬼めいた足取りで、気持ち悪い水音を立てながらこちらへやってくるのは――、
「――アル様ですか? 近寄って大丈夫です? うっかり屍人化してません?」
「あちこち噛まれたり引っ掻かれたりしてっから、自覚症状はねぇけどうつってねぇとは言い切れねぇな。こういうの、一発でアウトのケースが多いから」
「私や奥様の見立てだと、傷から感染はしませんよ。水さえ飲んでいなければ……正直、この環境の水を飲むような方とは、屍人でなくてもお付き合いしたくないですが~」
「オレも泥水啜って生き延びてきたタイプだが、ここの水だけはノーセンキューだ」
 そう言いながら、漆黒の兜を被った隻腕の男が闇から抜け出してくる。全身、汚物塗れのおぞましい状態だが、一見して致命的な傷はない。転落による傷も。
「アル様って空とか飛べたり? 西の辺境伯とか得意らしいですけど~」
「オレも道化って言われちゃいるけど、あの手の道化とはタイプが違うぜ。たまたま運が良かっただけだ。ちょうど、真下に死体の山のクッションがあってよ」
「うええ~、それって運が良かったって言います?」
「死ななきゃ安いってのがオレの故郷の名分でな」
 そこまで話したところで、アルが壁に背を預けてどっかりと座り込む。
「――――」
 軽口を叩いてはいたが、かなり消耗しているのがヤエの目にも見て取れた。すでに奈落へ落ちて数時間、生き死にの前途も見えずに動き続けていれば当然だ。
 それに何より――、
「この、辺りにある大量の死体って、屍人だったのをアル様が?」
 先ほどの推測が正しければ、死体の一部はこの地下空間を作るための労働力であり、贄だ。ただし、それ以外の用途に使われたらしき死体も少なくなく、死体の状態にもずいぶんと落差があるように感じられた。
 早い話、地上の屋敷やカッフルトン村で見かけた知性を有する屍人と、そうでない歩く屍とが混在している雰囲気だ。
 そして、それらの死体には共通して、身幅の厚い刃を受けた裂傷があった。
「あー、しんどい。よく生き残ったぜ、オレ。マジでグッジョブ、神にサンクス……」
「――――」
 深々と疲労の重い息を吐くアル、その兜の横顔を眺めてヤエは目を細めた。
 この地下の惨状、全てをアルがやり遂げたのだとしたら意外の一言だ。
 ヤエの正直な見立てでは、アルはそこまで腕の立つ男ではない。剣士としては二流、片腕を失っていることで戦士としても二流半がいいところで、継戦能力に秀でているとも考えにくく、持ち味が掴みにくい。実際、賑やかし要員の認識だった。
 いざというとき、プリシラの盾になるぐらいが関の山と。――それが、万全ではない屍人の群れとはいえ、これを撃滅し得るとは。
「愛の力、ですかね~」
「怖いこと言ってんじゃねぇよ。……あー、それで姫さんは? 無事か?」
「それなんですが、ちょっとマズいことになりまして~」
「ああ?」
 胡乱げなアルの声色に肩をすくめ、ヤエはアルの転落後の出来事を説明する。
 エッダ・レイファストの謀略に加え、屍人の群れに支配された一帯。プリシラの身柄は敵に確保され、ヤエとアルのみが自由に動ける立場――。
「とはいえ、多勢に無勢です。私だけなら頑張って逃げるのも可能でしょ~が、援軍を連れて戻ってくる頃には……」
「姫さんに寄生体が入り込んでる可能性が高ぇ、と」
「そうなっちゃうと、無意味かな~と」
 どうしましょ、とヤエはアルに意見を求めてみる。
 もっとも、取れる手立てとしてはさして多くない。屍人の群れに対して、こちらの手札はたったの二枚。アルの生存はめでたい話だが、それが状況を劇的に変える一手になるとも考えにくく、ヤエの意識は屋敷の外――テンリル川周辺の村を回り、屍人の掃討に当たっている赤拵えの『真紅戦線』へと向いている。
 彼らを呼び寄せれば、多少の屍人など歯牙にもかけまい。ただ問題は、その間にプリシラの自意識が寄生体に奪われ、操り人形と化してしまうことだった。
 こればかりはプリシラの常軌を逸した自意識の強度に期待する、なんて根拠のない対抗策しか出てこない。それを頼りに動くなど、抵抗感が勝った。
 と、そんなヤエの複雑な胸中を無視して――、
「なんで、お前はオレを捜しにきたんだ? 姫さんを助けるのが目的なら、外に抜け出して『真紅戦線』を呼ぶのが一番じゃねぇか」
「――。私も最初はそう考えましたよ? 落っこちたアル様が生きてるなんて、正直全然期待できませんでしたしね~。でも、奥様が」
「姫さんが?」
「アル様を捜せと。案ずるだけ無駄とも仰っていましたので、よほどアル様のことを信頼されているのかと……アル様?」
 離脱の間際、最後のプリシラの不敵な指示が思い出される。正直、プリシラの意見でなければ従う価値も見出せなかっただろう悪手だ。
 実際、こうしてアルが生きていたから無駄にはならなかったが、これが後々の何に繋がるかはヤエには到底わからない。
 そんな考えでいたヤエが、ふとアルの雰囲気の変化に目を留めた。
「アル様?」
「――――」
 俯いて、地べたにへたり込んでいたアルがゆっくりと立ち上がり、自分の鉄兜の金具を指で弄って音を鳴らす。小さく、弱々しい金属音。
 よくアルが見せる仕草だが、この瞬間ばかりは普段と異なる印象を覚えて――、
「――やってくれやがる、あの女」
 呟く声には痛快な響きがあって、それがますますヤエを困惑させた。そして、その困惑を抱えるヤエの前で、アルはゆっくりと足を引きずるように歩き出した。
 向かう先はヤエがきた方角、すなわち地上の屋敷へ戻る道筋だ。
「アル様、上には敵さんいっぱいいらっしゃいますよ~!?」
「ヤエ、お前は気付かねぇのか?」
「はい? 何に……」
「あの姫さんが、空振りに終わるようなつまらねぇ手を打つかよ。オレやお前がすぐに悪手なんて気付くような馬鹿な手、姫さんが打つとは思えねぇ」
「それは……」
 アルの指摘に言葉を詰まらせ、ヤエは自分の行動に不信感を覚えた。確かにそうだ。ヤエ自身、アルの捜索など無意味ではないかと考えていたではないか。
 なのに、何故、プリシラの指示に従ったのか。それは――、
「――結局、世界が姫さんに都合のいいように動いてやがんのさ」
 そして、そのプリシラがアルを選んだのなら、それがこの場面の最善手なのだと。
「――――」
 アルが腰裏の青龍刀を抜いて、億劫そうな足取りで地上への道を行く。その後ろに慌てて続きながら、ヤエは「どうするつもりですか?」と問いかける。
「わんさと敵がいますよ? アル様、百対一とかで勝てるおつもりですか~?」
「百対一どころか、二対一で十分危ねぇよ。てめぇの実力ぐらい弁えてんぜ、オレは。けどな、そんな局面はこれまでに何度もあった」
「百対一が、ですか?」
「敵の方が多いって局面だ。百対一と、敵が百人ってのは違ぇ話だぜ、ヤエ」
「――――」
「百対一なら勝ち目はねぇが、一対一が百回ならどうだ? 不利には違いねぇが、万一の可能性がありそうな気がしてこねぇか?」
 それは、敵が多勢の場合の正攻法だが、彼我の戦力差を思えば荒唐無稽な夢物語だ。
 しかし、目の前の男はその針の穴のような微かな可能性を、まるで星を撃ち落としたことでもあるかの如く堂々と語る。
「一万回に一回なんてないも同然……それに、その可能性ならさっき私が使ってしまいましたよ。アル様が生きてるなんて、万一の可能性だと思ってましたし~」
「となると、オレが引き寄せなきゃなんねぇのは二万に一つの可能性ってわけか。オレも男の子だから燃えてくるぜ。――可能性がゼロでなきゃ、こじ開けてやる」
 会話するアルとヤエの正面、地上へ繋がる螺旋階段が見えてくる。その階段を上がり切れば地上だが、待ち受けているのは地獄より地獄の屍人の群れ――。
「オレが騒がしくしてる間、お前は屋敷を抜けて『真紅戦線』を拾ってこい。どのみち、寄生された連中は根絶やしにしなきゃならねぇ」
「……本気でやるんですか?」
「何度も言わせんな。決め台詞の最中に息切れしたくねぇんでな」
 それだけ言って、アルが螺旋階段の一段目を踏んだ。これ以上は止めるだけ無粋と、ヤエはその場に丁寧に一礼し、
「私、アル様と奥様のこと、わりと気に入ってましたよ」
「今生の別れみてぇなこと言ってくなよ、縁起悪ぃ」
 と、そんなやり取りを交わし、ヤエは素早くアルを追い越して走り出した。
 アルにどんな隠し玉があるかは不明だが、命懸けの強がりだったとしてもその意を汲んでやるとしよう。――『真紅戦線』を呼び寄せ、屋敷の屍人を撃滅する。
 この鼻の曲がる悪臭の元凶たちを、薄汚い庭から外へ出さずに駆除するために。
 そうして、走るヤエの背後で、最後にアルが呟く声が聞こえる。
 それはヤエにはとんと、意味のわからない言葉で――。

「――領域展開、思考実験開始」

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