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【無料公開】『リゼロ』短編集4「高慢と偏屈とゾンビ」|43巻発売&第九章クライマックス直前記念

MF文庫J
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2025/12/18

   7

 ――エッダ・レイファストの印象は、『女傑』というより『鉄血』だ。
 浅黒い肌の下、血管を流れているのは赤い血ではなく、どす黒い油ではなかろうか。肉厚の体に太い手足、はち切れんばかりに張り詰めた衣類の上から毛皮のコートを羽織り、美ではなく武を奉じたような厚化粧。
 一見して、通常の美意識とかけ離れた美的感覚がそこに窺える。
「あーたが、プリシラ・バーリエル様だのね」
 応接間で相対したエッダが、椅子に腰掛けたプリシラを見下ろしてそう言った。なお、見下ろす形なのは体格差が原因で、椅子の高さのせいではない。
 プリシラも決して背の低い女性ではないが、エッダの身長はアルさえも首が痛くなるぐらい見上げる必要のある高さだ。さすがのプリシラも、そのことを怒りは――、
「頭が高いぞ、貴様。妾を誰と心得る」
「怒るんだ!? 身長だぜ!? どうしようもなくない!?」
「何を騒ぐ。妾を見下ろす不敬を思えば、腰の半分も床に埋まればいいだけの話じゃ。床が開く仕掛けの一つもなかったせいで、妾の不興を買ったな」
「そんな大掛かりな前準備、かもしれない運転でもやらねぇよ! 床に埋まっておかないと、偉い客の機嫌を損ねるかもしれない……生きづらいわ!」
「ぴいぴいとやかましい。貴様、今回はあれこれ妙にうるさくて敵わぬ」
「それは……姫さんが心配なんだよ」
 ソファに腰を埋めて、耳を塞ぐプリシラにアルは言葉に詰まった。
 心配と、そう言ってしまえばそれが事実だ。しかし、そんなアルの考えはプリシラの足を止める理由にはならない。隣で、ヤエが深くため息をつくのが見える。
 案の定、プリシラは「ふん」と小さく鼻を鳴らすと、エッダの方へ向き直った。
「妾の用向きは一つよ。貴様が仕切っている材木業と川の水車、いずれかで不埒な企みを目論む輩がいる。気付いているか?」
「――不埒な企み、ねん」
「すでにカッフルトンをはじめ、テンリル川流域の三つの村が被害に遭っています。エッダ様のところの従業員に、体の不調を訴えるものはおりませんか~?」
 プリシラの指摘に太い眉を上げ、ヤエの追及に芋虫のような指を唇に当てる。そうした反応を見せるエッダは、明らかに何も知らない人間の顔ではない。
 その視線は良くないと、アルは平時の心境なら教えてやったはずだ。が、今のアルにはその配慮をエッダへ傾けてやる余裕がなかった。
 それ故に、エッダの濁った視線がプリシラの機嫌を損ねるのをあえて見過ごす。
「その目つき、心当たりのある顔じゃな」
「――ここだけの話なら、ねん」
 プリシラの追及からは逃れられないと観念したのか、エッダはすぐにそう答えた。それは肥え太った彼女の持つ、ある種の生存のための最適解を選ぶ能力か。
 仮にもう一度とぼけていれば、プリシラは容赦なく陽剣を抜いていたはずだ。そんな修羅場にならずに済んで、アルとしても一安心――、
 ――そこに、油断が生じた。
「――お」
 ふと、アルは自分の足下が揺らいで、踏ん張りが利かなくなったことに気付く。すぐに足下を見て、その原因を理解した。
 床が、消えたのだ。絨毯ごと、ソファごと、応接テーブルごと、床が下へ開いた。そのまま真っ暗な地下の空間へと、アルの体が自然落下を始める。
「姫さ――ッ」
「アル様、ごめんなさい!」
 転落の瞬間、アルはプリシラを呼ぼうとして、その肩に衝撃を受けてひっくり返る。見れば、アルの肩を蹴って天井へ取り付くのは、同じく落ちそうになったヤエだ。彼女は天井の照明を掴んで、何とか転落の被害を免れる。
 代わりにアルはバランスを崩し、もはや墜落は避けられない。だからせめて、アルは確かめなくてはならない姿だけ、視界の端に捜して――、
「――――」
 赤い、紅蓮の少女と視線が交錯して、それを最後に転落する。
 落ちる、落ちる、落ちてゆく。――アルの体が真っ逆さまに、地下へ落ちていく。
 声にならない声を上げ、アルはそのまま、深い暗闇の中へと為す術なく落ちていった。

   8

「――――」
 床下には暗く、どこまでも深い闇が広がっていた。
 突然、前触れなく開いた床は、いっそ奈落と呼ぶべき暗闇へと全てを呑み込んだ。
 赤い絨毯に大きなソファ、来客を迎えるテーブルとお茶の入ったカップ類――そして、とっさの判断が遅れ、反応できなかった漆黒の兜を被った男が一人。
 尾を引く悲鳴を残しながら、男の姿が奈落の底へ消えるのを見届け、謀られた形になった紅の女――プリシラ・バーリエルは宝石の如く美しい瞳を細めた。
「油断、した、わねん」
「……油断じゃと?」
 背後、奈落へ目をやるうなじに声がかかり、プリシラは声の主へと振り返る。
 そこで、血色の化粧を施した唇を歪めるのは、まんまとプリシラたちを謀ったエッダであった。その彼女の醜悪な笑みを見据え、プリシラは表情を変えぬまま、
「――妾に、こうも真っ向から敵意を向けるとは正気の沙汰とは思えんな」
「そう?」
「挙句、妾の姿勢をさして油断などと、貴様の器で測ったな。万死に値する」
「そーお?」
 プリシラの冷酷な罪状確認に、しかしエッダは場違いな愉悦で体の肉を震わせる。浅黒い鉄油色の肌が震え、それがますますプリシラの不機嫌を助長した。
 そのまま、プリシラは躊躇わずに宙へと手を伸ばし、『空』を鞘とする真紅の宝剣を抜き放とうとする。だが――、
「――奥様!」
 瞬間、呼びかけと同時に空を黒刃が走り、肉が穿たれる音が室内に響く。
 空を走ったのはクナイと呼ばれる西方の暗器、投じたのはアルの肩を借りて、とっさに落下を免れていたヤエだった。そのヤエが投じたクナイが迫りくる敵――エッダの背後、壁の隠し戸から現れた二人の男の額を穿つ。
 さして刃渡りは長くないが、クナイの刃は深々と男たちの頭部を抉り、その奥にある脳を掻き回して命を刺し貫いた。
 そしてそれは、首の中央に刃を受けたエッダも例外ではない。
「あちゃ~、奥様ごめんなさい。うっかり反射的にやってしまいました」
 プリシラの隣に身軽に降り立ち、ヤエが三人を投擲で仕留めたことを謝罪する。その言葉に腕を下ろし、プリシラは「構わぬ」と前置きして、
「妾の手ずから処刑したいところではあったが、侍従の忠誠を蔑ろにしてまでやるほどの価値はない。そんなことより……」
「ええと、アル様ですが、この高さだと……わーお、底が見えませんね~」
 腕を組むプリシラの横で、奈落を覗き込むヤエが渋い顔をする。
 その表情も当然だろう。なにせ、どす黒い闇が広がる奈落は底が見えず、試しにヤエがクナイを落とすと、それが地面に当たった音が聞こえてこない。この高さと、敵を陥れるための罠であることを念頭に入れると、底にどんな仕掛けがあることやら。
 つまるところ、ここから落ちたアルの生存は絶望的と考えるしかなかった。
「奥様、大変言いづらいのですが、アル様はお亡くなりに~……」
「――ふむ。此奴ら、いったい何故に妾を襲おうなどと考えた?」
「奥様?」
 罠の見分を終え、アルの悲報を伝えたヤエが首を傾げる。
 正面、クナイを受けて倒れたエッダとその部下を眺めるプリシラ、彼女は敵の思惑を考察するのに集中しており、その横顔にアルを慮った色は皆無。
 まるで、アルという存在そのものを忘却したかのような無関心ぶりだ。
「奥様、それはいくら何でもアル様が浮かばれないのでは~」
「たわけ。些事に割く時間など妾にも貴様にもない。そも、妙だとは思わぬか?」
「妙ですか?」
「――妾を害する目的なら、何故、妾が奈落からどいた段階で罠を起動した? 狙いが誤っている。それでは筋が通らぬじゃろう」
 そのプリシラの指摘に、ヤエもまた違和を察して頬を引き締める。
 道理だ。元々、奈落の上にはプリシラもいた。狙いがプリシラ陣営――否、中核たるプリシラだったなら、彼女が罠にかからなければ意味がない。
 それなのに、敵はわざわざプリシラを巻き込まないように罠を動かして――、
「――それはねん、あーたの体に傷をつけたくなかったからよん」
「――っ」
 ふと轟く低い声に、プリシラとヤエが顔を上げた。
 二人の視線の先、ゆっくり立ち上がるのは首にクナイの刺さった巨体だ。芋虫のように太い指が黒刃の柄を掴み、乱暴に刃が引き抜かれる。荒っぽく、まるで人体に配慮のない挙動だが、奇妙なことに傷から血が流れることはない。
 ――その原因は、ここまでの状況からすぐに察しがついた。
「もしかして、屍人様でいらっしゃったり?」
「その言われ方は心外ねん。ただ、血の通ってない体を動かしてるだけよん」
 いけしゃあしゃあと言ってのけ、エッダもとい屍人のエッダが陰惨に微笑む。
 その表情に苦痛の色はなく、首の傷がなければ醜い顔の生者と変わらない。だが、依然として、首には痛々しい穴が開いていて、見るものの現実感を喪失させる。
「――――」
 その屍人と相対し、ヤエはさりげなくプリシラを背後に庇う。そうした侍従の気遣いに触れず、プリシラはエッダの言動に鼻を鳴らした。
「妾も同意見じゃな。屍人などと華がない。今後は『ぞんび』と名乗るがよいぞ」
「って、奥様、そんな場合ですか~!?」
「たとえ場合と状況がどうあろうと、妾は妾のままで在る。それを曲げれば妾ではない。とはいえ、想定外の事態ではあるな」
 全てを見通したような言動の多いプリシラが、珍しく自分の想定外を言明する。そのことにヤエが驚くと、プリシラは白く細い肩をすくめる。
「ただ喋り、人に擬態するだけならおぞましいの一言で済む。じゃが、この『ぞんび』の在り様は明らかにそれに留まらぬ。貴様、妾を傷付けたくなかったと言ったな?」
「ええ、言ったわん」
「なるほど。――つまり、次は妾の体が目当てか」
 そのプリシラの一言に、エッダが赤黒い唇をより大きく歪める。
 瞬間、床に倒れた二人の男が跳ね起き、額にクナイを刺したまま飛び掛かってきた。
 当然ながら、この二人――否、二体も屍人だ。
 掴み掛かってくる一体を、ヤエはすらりと長い足で蹴り飛ばし、続く一体の襟首を掴んで器用に背後へ投げ落とす。結果、二体揃って奈落の底へ真っ逆さまだ。
 だが――、
「まだまだ手勢はいるのよん。逃げられると思ったのん?」
「うげえ~!」
 エッダの哄笑を聞きつけ、部屋の扉がいっぺんに開け放たれる。
 正面入口に隠し扉、挙句に天井が開いて屋根裏からも伏兵が落ちてくる始末。その圧倒的な物量に、懐のクナイの残数を数えるヤエが頬を引きつらせる。
「これ、ちょっと笑けてくるぐらい劣勢ですね~。奥様、何か妙案あります?」
「侍従こそが妾に妙案を出すべきであろうに、すぐ妾頼みとは情けない」
「そう仰られましても~!」
 近寄ってくる屍人へクナイを叩き付け、腕を斬り、足を斬り、首を斬って次々と薙ぎ倒しながら、ヤエは室内に腐臭の漂う屍を積み上げていく。だが、倒しても倒しても、積み上げた死体が次々と立ち上がってくるのだから始末に負えない。
 その徐々に追い込まれる状況を眺め、プリシラが吐息する。
「――ヤエ、妾を置いて一度退け。そして、アルを捜すがいい」
「え!? 奥様、アル様の存在をお忘れになったんじゃ?」
「案ずるだけ無駄と言っただけじゃろうが。たわけたことを抜かすな。貴様の逃げる隙ぐらいならこじ開けてやろう。光栄に思い、跪くがいい」
「跪けって……ひぇ~っ!」
 尊大な発言があった直後、横薙ぎに真紅の輝きが一閃される。
 反射的に跪くヤエ、その頭上をプリシラの宝剣が容赦なく薙ぎ払った。赤い剣閃から火を噴いて、その刃の死線上にあった屍人はことごとくのたうち回って灰になる。
「征くがいい」
「奥様、どうぞご無事で~!」
 その間に跳躍し、天井に取り付くヤエがするりと屋根裏へ滑り込む。そのまま、彼女は素早く戦場となった応接間から離脱、プリシラだけが残された。
「ふむ」
 それを見届け、プリシラはさらに二度、三度と紅の宝剣を振り抜き、近付いてこようとする不埒な輩を炎でくるむ。しかし――、
「そろそろ打ち止め、ねん」
「そうじゃな」
 悠然と、配下の屍人の奮戦を眺めていたエッダが嗤う。そのエッダの視線の先、プリシラの手にした宝剣の輝きが陰り、揺らめく炎の火勢は見る影もなくなっていた。
「日輪が陰ったか。相変わらず、妾の意のままになり切らぬ剣よな」
 言い捨て、プリシラがぞんざいに宝剣を宙へ投げ捨てる。と、それは背後に立つ屍人の首を刎ね、そのまま空に吸い込まれるように消失した。『空』を鞘とする剣が『空』へと帰った。そして、無手になるプリシラを屍人たちが取り囲む。
「傷付けるのは本意じゃないのよん。大人しくついてきてくれるかしらん」
「周囲の汚物を妾に触れさせるな。そして、丁重にもてなすがいい」
 腕を組み、自らの豊満な胸を誇示するように持ち上げ、プリシラは堂々と言い放つ。それを聞いたエッダは眉を上げ、それから盛大に破顔した。
 そうして破顔したまま、『女傑』は続ける。
「その尊大な物言い、嫌いじゃないわん。――楽土の管理者にもってこいよん」

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