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やぁ“登校”に挑めニンゲン ~ゲーマー共は武器を片手に歪んだ校舎を踏破する~|MF文庫J発売前4タイトル特別試し読み!

2025/11/14

〈第四章〉


「なぁ白乃。キミはセイテンのゲームクリップを見たことはあるかい?」
 生徒会室にて、私は手に顎を乗せながら神妙に問う。
 ゲームクリップとは、ゲームの中で上手くいった最高の瞬間を記録したものだ。つまりこの質問の本質は、「キミは本当にセイテンの強さを理解しているのか?」となる。
「セイテンのクリップですか? SNSでバズって流れてきたものであれば、何度か見たことありますよ」
「自分で検索したりは?」
「しませんね。セイテンはFPSを主戦場にするゲーマーですから、格ゲー好きのウチとは趣味が合わないんですよ。強いのは分かりますけど、単純にあまり興味がなくて」
「そうか。………………そっ、か」
「え? ちょ、ちょっと何ですか急に。そんな悲しそうな顔しないでくださいよ……」
 白乃が目の前でオロオロとしているが、それを気に留める余裕が今の私にはない。憧れの人を「興味ない」と一蹴されるのが、こんなにもショックだとは思わなかった。
 私はしょんぼりとしたまま立ち上がり、近くに置いていた鞄を肩に担ぐ。今日は真っ直ぐ家に帰り、セイテンのゲームプレイ動画を寝落ちするまで眺めると決めた。本当なら今日の放課後は、アキとして男子組と迷宮攻略に励む約束であったが、今のメンタルでは難しいので中止にする。
 晴斗君と蓮司君には、後で謝罪の連絡を入れなくてはならないね。
「ま、待ってください会長!」
「……待たない。ではまた明日」
「そんなにですか!? そんなにショックでしたか!?」
 白乃は必死に引き止めようとするが、今の私はもう誰にも止められなかった。
 もし止められるとしたら、それは――
「そ、そうだ! ウチに会長オススメのセイテンのクリップ教えてくださいよ!」
「……オススメ? しかし興味は無いのだろう?」
「じ、実は最近ウチもFPSを極めたいなと思ってて! たとえば、えっと、カッコイイ銃の撃ち方……とか? 参考にしたいので今から一緒に見ましょう!」
「……無理してないかい?」
「むむむ無理なんてそんな! むしろめっっっちゃ見たいです! というかもう見たくて見たくて仕方がないんです! お願いです、ウチにオススメのクリップを紹介してください! どうかっ、どうか!」
 私は白乃の言葉に立ち止まる。そこまで言われたら、私も折れざるを得ないというか。
「……。私のスマホで一緒に見るかい?」
「見ましょう!」
 白乃の隣に座り、ホログラムのディスプレイを展開させた。少しウキウキしているのは秘密である。
「ふふん。ちなみに私の一番のオススメクリップは『Battle Frontier』――通称BFと呼ばれるFPSゲームで、彼が無双するシーンでね」
「64人対64人での対戦が可能なアレですか?」
「それだ。そしてこの動画は、とあるチーターの嫌がらせで『セイテン一人』vs『64人』でマッチングさせられたところから始まる」
「絶望的じゃないですか」
「まぁ勝つんだけどね」
「人間辞めてません?」
 そんなこんなで私は、白乃と二人で楽しいひとときを過ごす。メンタルも十分に回復したため、これならば放課後の探索も十分に行えるだろう。
 めでたしめでたしである。
「ああ、そうだ。ところで言い忘れていたが、今日のお昼に指輪持ちの女子生徒を見つけたんだ。名前はレイニ君というのだけど」
「はい!? ちょ、それセイテンの動画なんて見てる場合じゃ――」
「……えっ」
「――場合ですよね。すみません、ウチとしたことが血迷いました。いやぁそれにしてもセイテンって本当に凄いですねー!(棒) 七姫会長が憧れるのも納得です!(棒) 今の弾丸を避ける動きとか特に――……は? え、ちょっと待って普通になんですか今の。待って、本当に凄い。意味が分から…いや強…てか速すぎて、見えな……あれ? 今セイテン何しました? ちょっと会長、動画少し戻してください。今のところ、もう一回見たいです。早く」
 めでたしめでたしである。

 ☆

 入学してからの数日間。先輩たちから色々と教わり、僕は改めて迷宮が「ゲームに寄せて構築されている」と判断した。
 僕たちに与えられるのは『幻装』と呼ばれる武具一式で、立ち塞がるのは『怪物(ヴェイル)』。そして攻略成功により差し出されるのが『シディルの進化』及び『宝石(アーティア)』という名の報酬である。これだけ冒険感を出しておいて、ゲームを連想しない方が難しい。
 ああ、ワクワクする。
 迷宮最高。ビバ迷宮。デスによるペナルティは「二週間の侵入不可」&「所持していたアーティアの全損失(ロスト)」と中々に重いが、しかしまだ何も持ってない僕らにとって後者は無関係。いやはや、なんて素晴らしいローリスクだろう。
――このルールならば、迷いなく仲間を捨て駒にできる。
「よし、行くぞ肉壁」
「それ俺に言うてんの?」
「僕が『蓮司シールド』って叫んだらよろしくね」
「ぶっ飛ばすで?」
 どうやら僕の盾役はお気に召さないようで、蓮司はこめかみに青筋を立てながら拳を鳴らした。何が不満なのかよく分からない。
「……本気で不思議そうな顔をしてるのが、晴斗さんの怖いところですね」
「せや。コイツは頭がおかしいんや」
 アキ君は僕から一歩距離を置くと、蓮司と並んで僕を非難するのだった。
「まったくもう、蓮司は使えないなぁ。迷宮攻略は仲間同士の協力が大事なのに」
「肉壁を仲間に分類すんなや」
「晴斗さん仲間の概念どうなってんですか?」
 僕は辛辣な二人を無視しつつ、目の前の正面玄関を見つめた。
 空を見上げると原型を失った学園が、不気味に僕らを嘲笑っている。階層が増すほどに大きな円形に広がっていく、逆円錐型の異常な構造だ。一秒と持たずに崩れそうな形状だが、ホログラムだからこそ成立していた。
「……あの、男子組の皆さん。お願いですから真面目にやってくださいよ? 今日は上限投影深度ではありませんが、それでも常識外れに難しいことに変わりはないのですから」
「あァー、そうだぜ、副会長サマの言う通りだ。フザけて無様に撤退なんてしたら許さねェぞ」
 黒宮先輩と霧畑先生の注意に、僕ら三人は「「「はーい」」」と返事をした。
 これより迷宮に侵入するのは僕と蓮司とアキ君の三人。今は全員が生徒会の末席に名を連ね、庶務としての役職を与えられている。
 本日の仕事は迷宮を踏破し、攻略報酬である『アーティア』を手に入れること。アーティアとは迷宮内で使える消費アイテムで、幻装のダメージを回復できたり一時的に強化できたりと、様々な効能を持つものが存在しているらしい。曰く最高難度に挑む前に少しでも多く集めたいのだとか。
 ふと霧畑先生がギロリと目を細める。
「オイ、ところで茶髪のガキ。……テメェ確か、アキなんて名前だったかァ? 顔合わせンのは初めてだが、どういう経緯で生徒会を知った?」
「七姫さん経由です。実はオレ、七姫さんの従弟(いとこ)で」
「……あァ? まさか入学前から聞いてたのか?」
「いえ、ちゃんと知ったのは入学式の日の夜ですね。見慣れない指輪に気づいて、七姫さんに相談したら事情を説明して貰えたって流れです」
「ハッ、そりゃ運が良かったな」
 霧畑先生は少し嬉しそうに笑う。彼にとっても予期せぬメンバーの追加は幸運だったのだろう。
 というか、そんなことよりも。
「アキ君、緋菊先輩と従姉弟(いとこ)だったの?」
「似てませんか?」
「言われてみればめちゃくちゃ似てるけど」
 つまり僕が緋菊先輩と付き合えば、必然的にアキ君とも大きな繋がりができる訳である。これはもう、できる限りアキ君とも仲良くしていかねばならないな。
「で、その緋菊はどうしたァ? 今日はどういう理由でここに居ねェ」
「休養です。連日の疲労が溜まっているようでして」
「疲労が溜まるほど無理してんじゃねェよボケが。お大事にって伝えとけ」
 相変わらず口は悪いけど優しい人である。
「――さて、皆さん」
 と声を上げたのは黒宮先輩。
 僕と蓮司とアキ君は、揃って先輩に目を向けた。
「それでは現状、把握できている情報を整理します。ついでに貴方たちが成すべき目標も、改めて確認しましょう」
「はーい」「うす」「了解です」
「今回の迷宮の投影深度はレベル3。外装の雰囲気から推測するに、恐らくコンセプトは『魔王城』といったところでしょう」
「……レベル3って言われましてもね。初めての俺らには基準がねぇから反応に困るんですわ」
「投影深度って、要するに難易度ですよね? 一番高いレベルはいくつでしたっけ?」
「7です。 去年の終わり頃、ウチらがレベル6を攻略することで解放されました」
「あー……。確か一番上のレベルをクリアすると、その上が生成され始めるっちゅう仕様やったか。つまりレベル7が先輩方でもクリアできとらん難易度――つまりは上限投影深度ってことやな?」
「その通り。基本的には毎日ランダムなレベルの迷宮が現れますが、しかし上限投影深度の出現にだけは“前触れ”があります。今後はその“前触れ”に合わせて、探索のペースを調整していくことになります」
 なるほど。つまりは最難関迷宮の出現に向けて、僕たちはアーティアを集めたり練習を積んだりと準備を進めていく訳だ。
「続いてこれが、貴方たち三人分の『分析機(スキャナー)』。迷宮内の生成物を持ち帰ることはできませんが、成分を調べることはできます。探索中に“明らかに地球のものではない”と思う物体があれば、積極的にスキャンしてみてください」
「無事に持ち帰ったら俺がデータを確認するぜェ」
「たとえ攻略に失敗しても、重要な探索成果となるのでお忘れなく」
 僕たちは渡された小型の機械を受け取る。スイッチを入れると光が射出され、それを当てることで分析が行われる仕組みのようだ。僕は軽く使い方を確認した後に、分析機(スキャナー)を腰に吊るした。
「ま、とはいえ気楽にどうぞ。成果なんて本気で求め始めたらキリがありませんから」
 黒宮先輩は肩を竦める。
「正直な話ですよ? ウチらが休息に当てた日に、貴方たちが何かしらの成果を持ち帰ってくれる可能性があるというだけでプラスなんです。毎日迷宮に挑み毎日報酬を得るのが理想なのですが、体力的にそれは無謀というものでして」
「とりあえず居ないよりはマシと?」
「はい。なので皆さんは気楽に楽しんできてください。それこそ本当にゲーム感覚で構いませんので」
 無愛想なままに、僕たちを優しく気遣う言葉。
 中途半端な応援よりも、断然気合いが入るような気がした。
「……ただ一点不安なのは、夜魅さんと連絡が取れないことですね。一体どこで何をしているのやら」
「夜魅さん?」
「ウチらのもう一人の仲間です。三年生の……ウチにとっても一つ上の先輩の方なのですが、普段から行動が読めなくて。本当はこのタイミングで、お二人に紹介するつもりだったんです」
 夜魅。聞き覚えのない名前だ。どうやら彩淵学園の有名人という訳でもなさそうなので、おそらく蓮司も知らない相手だろう。
「……夜魅、やて?」
 と思ったのだが、蓮司が予想外の反応を見せる。どうやら夜魅という名前に心当たりがあるらしい。
「もしかして知り合い?」
「いや、同じ苗字の女を知っとるだけやが……」
 そう話す蓮司は、酷く怯えた表情をしていた。まるで生まれたての子鹿みたいに膝を震わせており、このタイミングで膝カックンなんてした暁にはそりゃもうド派手な転び方をするのだろうなと思った。
 どうやら蓮司はこれ以上、「夜魅」とやらの先輩の話を続けたくないようで強引に話題を変えてくる。
「なぁ、それより迷宮での作戦を考えよや。役割くらいは決めとくべきちゃうんか?」
「作戦ね」
 僕は蓮司の言葉に頷き、考える。
 VR(仮想現実)ゲームでもAR(拡張現実)ゲームでも、迷宮探索であれば作戦は重要である。敵に合わせた武器を用意するのは勿論、ヒーラーを何人揃えるかや、それに合わせた適切な陣形も必要だ。なんなら入る前の準備の段階で、成功率の半分以上が決まるとも言えよう。
 だがしかし。
「今回は作戦なんて要らないと思うよ」
「なんでや」
「いやさ、僕たちあまりにも経験不足じゃん。こういうときは下手に考えを縛らないで、臨機応変に動くのが正解かなって」
 まして今回はVRゲームでもARゲームでもなく、《イーテル》によって生み出された特殊な空間での迷宮探索だ。幾らゲームとそっくりとはいえ、僕らの知るゲームとは別物なのではないかと思う。
「それもそやな」
「ですね。初回なんてそんな感じが良いとオレも思います」
「おっけー。それじゃあ準備しようか。黒宮先輩、ここで使って良いですか?」
「ええ、ご自由に」
 僕は黒宮先輩に確認した上で、『幻装の指輪』を見る。
 そして。
「――【幻装・展開】」
 それはまるで、光が生地へと変貌するように。指輪の輝きが僕を包み、僕の姿を迷宮の住人へと変えた。
 僕の幻装のベースデザインは「白のレインコート」。肩から膝までを一枚が覆い、クルリと回ると裾が舞う。ちょっとばかりの制服要素を足し、戦闘仕様に改造したような雰囲気を持つのは、黒宮先輩のメイド服風の幻装と変わらない。
 そして、武器として僕の手に現れたのは――
「……スナイパーライフル、ですか」
 アキ君は僕の手の中を見つめながら、そう呟いた。
 ボルトアクション式の、一発ごとに空薬莢の排出が必要なタイプ。高威力高精度での長距離狙撃が可能な大型銃だ。SFチックでメカニカルなデザインが特徴で、実在するスナイパーライフルに同じものは存在しない。
「どう、結構強そうじゃない? 僕的には当たり武器かなと思ってるんだけど」
 近距離での隙こそ否めないが、威力はピカイチで射程も文句無し。この武器でしか出来ない仕事は多いはず――と思っていたのだが、なぜかアキ君の表情は芳しくない。苦虫を噛み潰したような顔で、僕の手にするスナイパーライフルを見つめていた。
「アキ君的にはイマイチ?」
「……オレ的には。正直ハズレかなと」
 ええ、なんでだろう。どう考えても強いじゃんスナイパーライフル。僕はアキ君に理由を問う。
「実は『幻装の指輪』には、とある仕様がありまして」
「仕様?」
「はい。『指輪から5メートル離れた装備は消える』という仕様です。たとえば剣をヴェイルに向けて投げたとしても、飛んでいく途中で剣は消滅しちゃうわけですね」
「ほう、なるほど」
 で、なんでスナイパーライフルが弱いんだろう。僕は別に、スナイパーライフルを投げて使うつもりはないのだが。まさかアキ君てば、スナイパーライフルは投げて使うものだと勘違いしているのだろうか? へへっ、可愛いヤツだな。
「ハッキリ言ってやれやアキ。このバカ、まだ理解してへんぞ」
「バカとはなんだバカとは」
 少なくともスナイパーライフルの使い方は知ってるぞ。
 僕は怒りに身を任せ、蓮司の眉間にスナイパーライフルの恐怖を教えてやろうとするが――
「要するに、撃った弾丸も消えるんですよ。5メートル先で」
――アキ君の言葉に固まった。
「……え、なに? じゃあこのスナイパーライフル、有効射程5メートル?」
「そういうことです」
「よっわぁ……」
 絶望的な事実である。射程が長所のスナイパーライフルから射程が奪われた。しかもボルトアクション式なので連射も困難。何が好きでこんなデカいスナイパーライフル抱えて近距離戦をしなきゃならんのだ。
「蓮司、ちょっとそこから動かないでね」
「ん? 了解」
 僕は蓮司から5メートルと少し離れる。
――ガチャン (弾を込める音)
――ドォン! (蓮司に向けて発射する音)
――「……ちっ」 (無傷の蓮司を見て舌打ちする音)
「いや何しとんねんお前!?」
「え? アキ君の説明、本当かなって……」
「俺に向けて撃つ必要あったか!?」
 うるさいなぁ、無傷だったんだから良いじゃないか。それに万が一当たったとしても、蓮司が一回死亡するだけのことである。大した問題にはなるまい。
「むぅ、威力はあるっぽいけど……。これはピーキー過ぎるなぁ」
 そんなこんなで悲しみに暮れながら、僕らは迷宮探索を開始した。

 ☆

 迷宮の入口である正面玄関を潜った瞬間、急激に身体が冷えるのが分かった。薄気味悪い冷たい空気が、僕の背中をゆっくりと撫でる。
 RPGで例えるなら、草原から洞窟に移動してBGMが変わる感覚だろうか。ここから先は危険地帯だぞと、僕の勘が静かに告げた。
「……これは、玄関ホール?」
 中に入ってまず目に付いたのは、西洋の城でよく見る左右へと広がっていく巨大な階段だった。丁寧に敷かれた暗色のカーペットが、おどろおどろさを引き立てる。
――魔王城。
 いかにも魔の王が住み着いていそうな雰囲気だな、と僕は思う。
 だがそれ以上にこの迷宮は、僕の知る魔王城とは大きく違っていた。明らかに魔王城を意識してデザインされているのは分かるが、魔王城と一括りにはできない歪な内装をしているのだ。
「ねぇねぇ蓮司。壁に飾られてるアレ、昔の学校で使われてたっていう『黒板』ってヤツじゃない? 絵画みたいなノリで置かれてるけど、違和感ヤバいでしょ」
 それは、そこかしこに散らばる「学校要素」。
 厳かで豪奢な内装のくせに、シンプルな学校用の窓が取り付けられていたり、瓦礫の中に教卓の破片が紛れ込んでいたり、蝋燭の代わりに鉛筆の先が燃やされていたり。どう頑張っても馴染まないだろう「魔王城」と「学校」の二つが、強引に組み合わされていた。
 不気味さを煽るという意味では大成功かもしれないが、ハッキリ言って違和感しかない。
「それもそやけど、俺はこの『人が作ってない感じ』が最高に気味悪いわ。AIが一瞬で生成したってのがよう分かる」
 僕は蓮司の言葉に、さらに目を凝らして辺りを見渡してみる。すると蓮司の言いたいことがすぐに理解できた。
――『AIは人の常識を知らない』
 それは一昔前に流行った、生成系AIを小馬鹿にするセンテンス。
 どれだけ膨大なデータを蓄積させても、人間が口にする「普通に考えておかしいだろ」を理解できないのがAIだ。それは人間側がAIに与えた自由に由来する常識外れであり、その常識外れこそが致命的な気持ち悪さを迷宮内に産み落とす。
「……よく見たらあの壺、粘土みたいに床と一体化してない? 材質も床と全く一緒だし。もうどこにも運べないじゃん。バカなのかな」
「ああ。それにあのシャンデリアらしき見た目の照明器具も意味不明や。シャンデリアのクセに普通に支柱で立ってやがる。アホかよ。吊るせや」
 おそらくシディルは、壺もシャンデリアについても用途を理解していない。オブジェクトとして見た目のデータは持っているのだろうが、迷宮を構成する過程でノイズが入り、異常な形で落ち着いてしまったのだと思う。
「まぁ良いじゃないですか。今日の迷宮はレベル3ですし、きっとまだ学習不足だった頃の面影が残ってるんですよ。シディルの文句はその辺にして、そろそろ進みましょう」
「……うん。えっと、上に進めば良いんだっけ?」
「はい。ボスが居るのは最上階なので」
 そして僕らは改めて、巨大な階段へ向かって歩き出した。各々武器を構え、慎重に歩む。
 蓮司の武器は「鉄球のついた錫杖」である。錫杖の先端には鋭利な棘を持つ小さな鉄球が三つ、ジャラジャラと取り付けられていた。幻装のベースデザインは「袈裟」だろう。
 対してアキ君の武器は「複雑な刃の薙刀」。幻装のデザインは「羽織袴」をベースにしているようで、とても落ち着いた印象を受けた。
「……二人とも使いやすそうな武器で羨ましいなぁ」
「なんや急に」
「別にぃ?」
 言っても仕方のないことではあるけれど、どうにも割り切れないものはある。幻装とは一回限りのガチャのようなもの。アタリがあればハズレもある。
 僕はため息を吐きながら、抱えたスナイパーライフルを優しく撫で――
「……ん?」
――突如、天井からスライムが降ってきた。
「二人とも、上から敵です! 気をつけt」
――のを、僕はそのまま撃ち抜いた。
 不意打ちを仕掛けようとしていたスライムは、空中で爆散して周囲に散らばる。記念すべき迷宮での初戦は、呆気なく終わってしまったようだ。
「……え?」
 アキ君は目を見開いて驚く。スライムの死骸と僕の構えた銃を、ポカンとした顔で交互に見つめた。スライムの粘液の中には、砕けたビー玉サイズの核の破片が散らばっている。
「あの、晴斗さん。今何しました?」
「撃った」
「核を?」
「核を」
「なるほど。そうですか」
 やはりスナイパーライフルの問題はコッキングとリロードである。敵が単体なら平気だけれど、複数になると隙を埋めるのに苦労しそうだ。僕はガチャンと空薬莢を排出しながら天井を見る。これ以上のスライムは見当たらなかった。
「(こ、これがセイテン……! 初見殺しに余裕で反応する反射神経も恐ろしいが、それ以上に射撃モーションが速すぎて見えなかったぞ。そうか、世界最強とはこうも異質なのか……!)」
 振り向くと、アキ君が目を輝かせて僕を見つめている。一体どうしたのだろう。
「進まないの? アキ君」
「……あ、ごめんなさい! すぐに行きます!」
 アキ君が僕と蓮司に追いつくのを待ったあと、僕たちはさらに奥へと足を進めた。


【迷宮情報】
 迷宮タイプ――魔王城
 投影深度――Lv.3
 階層数――全四階層
 BOSS VEIL――グレイズ・エレファン

 ☆

「……おい止まれ。敵や」
 先行する蓮司の静止に、僕とアキ君は立ち止まる。
 僕は敵と聞いて、とりあえず銃を構えようとするが――
「……おっと、音は出すな。かなりの数のヴェイルが集まっとるで」
――その追加情報に、慌てて手を止めた。
 蓮司が見つめる部屋を、僕も並んで覗き込む。
 すると三十を超えるスケルトンたちが武装し、一枚の煌びやかな扉を守っている光景が見えた。スケルトンの瞳に知性は感じられず、ただカタカタと歯音を立てるだけである。
 ここまでの道中にも数多のヴェイルと戦闘して来たが、同時に現れたのは多くとも三体。部屋を満たすほどの大群を見るのは初めてだった。
「ここは……音楽室? みたいな部屋だね」
 足の踏み場もないくらいに、弦楽器や打楽器があちこちに散らばる。下手に触れれば音が鳴り、全てのヴェイルの注目を集める羽目になるだろう。一体一体は大した敵ではないが、三十体に囲まれれば無事では済むまい。
「それにしても、なんやろなあの金ピカな扉は」
「……もしかして隠しルート的な? あそこを通れば、一気にボス部屋に近づけるかも」
「ありうるで。そうなると意地でも通りたいとこやわ」
 僕と蓮司は、顔を見合わせニヤリと悪い笑みを浮かべた。
 迷宮の制限時間は五時間と定められており、それを過ぎると強制的に追い出され、元の学園に戻る仕様となっている。ならばショートカットルートは可能な限り使わせてもらうのが吉だろう。
 とはいえあそこまで大量のヴェイルが守る扉を、無策で駆け抜けるのは難しい。なんなら初めから通すつもりがないトラップルームのような気配がプンプンとした。
「ショートカットの利用はリスクが高く、上手く行ったとしても激しく消耗するのが常です。なので基本的には避けて進むのが正解ではありますが、しかしレベル3程度であれば――」
「へー。めっちゃ詳しいねアキ君」
「――って七姫さんが言ってました。七姫さんが。オレはよく分かんないです。マジで。はい」
 一体何をそんな必死に……? アキ君が僕たちよりも緋菊先輩から詳細な話を聞いていることくらい、何も不思議ではないのだが。
 とりあえずショートカットを狙うという方向で三人の意見は一致したので、具体的な手段を相談し始める。
「で、どうやって扉まで行こうか? 隠れて進むのは難しいよ」
「任せとき。この俺にええ作戦がある」
 まず手を挙げたのは蓮司。
 流石は僕の相棒だぜ。
「まず晴斗が一人で骸骨どもに突っ込むやろ?」
「ふむふむ」
「で、オマエが襲われてる隙に俺とアキが先に進む」
「相棒?」
 それ世間一般では囮って言うんだけど。そんな軽いノリで仲間を見捨てるのはやめて欲しい。
「ちょっと蓮司さん、こんなところで仲間を失うのは不味いですよ。この先も戦いは続くんですから」
「それは分かるがコイツ必要か? 強いけどバカやで」
「とんでもないこと言うじゃん」
 恐ろしい伏兵である。まさかこんな身近に敵が潜んでいるとは思わなかった。
「まぁまぁ、そんなに結論を焦らないでください。オレにも作戦がありますから」
 マジかよアキ君は頼りになるな。バカ蓮司とは一味違うぜ。
 僕はワクワクとしながら、アキ君の言う作戦に耳を澄ませる。
「まず晴斗さんが一人で骸骨に突っ込むじゃないですか」
「ふむふむ」
「で、そのまま晴斗さんが全部倒せばオッケーです」
「作戦とは?」
 それ僕が最強なだけじゃない? 作戦とは違くない?
「おいおい完璧な作戦やな。よし行ってこい晴斗」
「黙れよクソ野郎」
 ノリノリで僕を生贄に捧げようとする蓮司と、なぜか僕の強さを過信しているアキ君。どうにもこのパーティには問題が山積みな気がしてならなかった。
「晴斗さんなら行けますって」
「マジでどこから来るの? その信頼」
 一緒にゲームをしたことすらないのに、どうしてそこまで僕が強いと思っているのか不思議である。信頼とはコツコツと積み上げるものじゃないのか? いきなりオールインされるとそれはそれで対応に困るんだよ。
 僕はアキ君との距離感に悩むが――しかしそんな最中、背後から奇妙な音が聞こえてくる。
『カカッ!』
「……カカッ?」
 それは骨と骨をぶつけるような音。
 僕と蓮司とアキ君は、全員揃って音楽室に意識を奪われていた。だからこそ背後から迫る、新たな存在に気づかなかった。
「ねぇ蓮司、変な音立てるのやめてよ」
「は? 俺ちゃうわ。アキやろ」
「オレでもないですけど」
 じゃあ誰やねん、と。
 僕らは三人一緒に、後ろを振り向く。
『カカカッ!』
――スケルトンが、1センチ背後で僕らを見ていた。
「「「うおぉぉぉぉおおお!?」」」
 ホラーゲーム顔負けの恐怖演出に、僕らは全員で後ずさる。
 驚き過ぎておしっこ漏らすかと思った。
「ビ、ビックリしたぁ! 本当にビックリしたのだが!?」
 アキ君もアキ君で相当驚いたようで、口調がおかしなことになっている。まるで緋菊先輩みたいな喋り方だ。いやアキ君の口調なんて気にしている場合ではない。ピンチだ。大ピンチである。
「不味いで。大声出してもうたわ」
「うん。これはマジでヤバい」
 僕らは壊れたブリキ人形みたいに、ギギギと首を回して音楽室の様子を確認する。
――僕らを見て笑うスケルトン×30
 もう絶望的だった。
 僕らは三人で目を合わせる。目で語る。今からの行動についての相談は、それだけで全てが完了した。
「「「よし逃げるぞ(ましょう)!」」」
 三十六計逃げるに如かず。ついこの間もオークを相手に廊下を駆け抜けた記憶があるが、そんなことどうでも良いと思えるくらいに、僕らは全速力で音楽室を後にした。
「追ってきてる!?」
「追ってきてます!」
「追ってきとるに決まってんやろ!?」
 後ろを見ると、百鬼夜行みたいなモンスタートレインが完成していた。いやどいつもこいつも骸骨なので百鬼夜行とは全く違うのだが、とにかく化け物の大行進に違いはなかった。
「ちくしょう、迷宮は廊下を走らなアカン決まりでもあんのか!?」
「ホントにそれ! 少し前にもオークから逃げ回ったのに!」
 廊下は歩く場所だと学び直せシディル君。
「くそっ、何か使える物はないか……!?」
 僕は全力で走りながら、逃走に使えるものを探して四方八方に視線を飛ばす。何か起死回生の一手が欲しかった。
――投げ捨てられた武器の山。
 どれもこれも壊れていて、まともに使えそうにはない。剣は持ち手が錆びていて、盾は触れれば崩れるほどにボロボロ。しかし中には、「もしかしたら使えるか?」という道具もチラホラと見える。
 僕はすれ違いざまに、その中から手榴弾一つを手に取った。
――ホワイトボードに貼り付けられた、たくさんのキッチンタイマー。
 五秒後くらいに設定してアラームを鳴らせば、スケルトンの気を引く程度には使えるかも。役に立つ可能性はある。
 僕はそのうちの一つを手に取った。
――山積みのエロ本。
 なんでこんな骨董品が迷宮にあるのだろう。迷宮探索に有用だとは思えない。
 僕は特にエッチな一冊を手に取った。
「……晴斗さん、今何を拾いました?」
「……別に何も拾ってませんけど?」
「ちなみに迷宮が消えると拾った物も全部消えますよ」
「そういえばそうだった! ちくしょう家宝にしようと思ったのに!!」
「やっぱり拾ってるじゃないですかエッチ!」
 アキ君は顔を真っ赤にして、まるで女の子みたいな反応を見せた。健全な男子高校生ならば、堂々と教室でエロ本を読むくらいの度胸は欲しいものである。
 僕はアキ君の未熟さを嘆きながら、スケルトンたちに向けて手榴弾とキッチンタイマーとエロ本を投げつける。するとボンッと大きな爆発が起こり、数体のスケルトンを倒すことに成功した。見たかこれがエロ本の力だ。
「ナイスや晴斗! ようやった!」
「うん、でもこのままだとジリ貧でいつか捕まっちゃうよ!」
「ほんまになぁ……っ!」
 エロ本の活躍によってスケルトンたちの歩みを遅らせはしたものの、根本的な解決にはならない。未だピンチのままである。どうしたものかと引き続き思案するが、やはり僕では何も思いつかなかった。
 そんな中、蓮司が眉を歪めながらゆっくりと僕と目を合わせる。それは僕に何かを期待するような瞳だった。
「仕方あらへん、この手段だけは使いたなかったが!」
「何か作戦があるの!?」
「ああ、一応な!」
 蓮司は軽く笑うと、僕とアキ君にその作戦を告げた。
「このままだと三人まとめてゲームオーバーや。せやからそうなる前に、俺とアキが囮になって晴斗一人を生かす」
「はぁ!?」
「晴斗。オマエは次の曲がり角を曲がったら、すぐに一番近くの部屋に隠れや。俺とアキはそのままスケルトン共を引き連れて走るさかい、オマエはアイツらが通過したあとにこっそり部屋から出たらええ」
「だ、ダメだよそんなの! そしたら二人はどうするのさ!」
「俺たちのことは気にせんでええ。ボス部屋に辿り着いたあと、一人でボスを倒せるとしたらオマエや。オマエしか居らん。だから俺たちはオマエを生かす」
 信じられない。まさかあの蓮司が、こんな提案をするなんて。三人で死ぬより一人を生かすという判断が正しいのは分かるけれど、それを蓮司が言い出すとは思わなかった。
「うだうだ悩んでる時間はあらへん! さぁ晴斗、さっさとその部屋に隠れや!」
「……りょ、了解!」
 僕はスケルトンの視界から外れた瞬間に、目の前の一室へと飛び込んだ。バタンと扉を閉めると、廊下の喧騒が僅かに遠のく。仲間を見捨てる情けなさに、僕の心は複雑に揺れた。僕は蓮司という親友を、少し誤解していたのかもしれない。紛うことなきクソ野郎だとばかり思っていたが、まさかヤツにこんな優しい一面があるなんて。
 僕はポロポロと涙を零しながら、「絶対に二人の命を無駄にはしない」と決意し――
「その部屋に一人隠れとるでスケルトン共!! 先にそいつをぶっ殺せ!!」
――だ ま さ れ た。
「はーっはっは! すまんな晴斗、俺らの為にここで死ね!」
 嘘だろあの野郎信じらんねぇ。次に会ったときぶん殴ってやる。というかアキ君も絶対に蓮司の嘘に気づいてたよな。今思い出すとアイツも笑い堪えてたわ。
「クソ共がよくもォ……ッ!」
 僕が必死に押さえつける扉の真向かいでは、大量のスケルトンが暴れていた。ドンドンドンと凄まじい衝撃が幾度となく伝わってくる。このままでは、扉を破られるのも時間の問題だろう。
「ど、どこかに逃げ道は……っ! てかまずここ何の部屋!?」
 僕は必死に情報を掻き集める。
 ピンチのときこそ視野を広く持たねばならないのは、ありとあらゆるゲームで共通だ。冷静に手に入れた情報こそが、状況を変える鍵になる。
 この部屋にある物は、ベッド、空の本棚、デスク、衣装立て、宝石のあしらわれた女性用のドレス。生活に必要なものは一通り揃っていて、豪華ではないが質素でもない。娯楽は一切ないけれど、過ごす上での不便はなさそうだった。
「……監獄みたいな環境なのに、ドレスだけが異常に豪華。普通に考えたらおかしいね」
 ドレスの存在感だけが浮いている。 
 この情報から、『魔王城』というコンセプトと合わせて部屋の正体を推測するならば――
「――捕まえた姫を、閉じ込めておく為の部屋」
 囚われの姫の部屋なんて、魔王との戦闘エリアと同じくらいに必須の部屋だ。
「ってことは、この部屋に逃げ道がないのは確定……!」
 人を閉じ込めるための部屋なのだから、隠し通路などあるわけがない。シディルの謎センスによって隠し通路が作られている可能性も否定できないが、その確率は低いと僕は判断した。
――ドンドンッ! ドンドンドンドンドン!
「ひぃぃぃぃい!」
 やはり戦うしかない。無理ゲーの気配しかしないけれど、それ以外に方法は無さそうだ。
 僕は覚悟を決めて、扉の方向にスナイパーライフルを撃ち放とうとする――が、そのとき。
「…………あなた、誰?」
 女の声がした。ベッドの上からだ。
 彼女は今の今まで毛布に潜って寝ていたようで、今も眠そうに目を擦っていた。
「ひ、人?」
「…………人よ。ヴェイルに見える?」
 そりゃヴェイルには見えないけども。
 中学生くらいの容姿をしたその少女は、月みたいに明るい金髪を揺らしながら、無感情な声を発した。長い前髪で両目とも隠れているせいで、彼女が何を考えているのかはまるで読み取れない。
「こんなところで何してるんですか」
「…………寝ていたわ」
――ドンドンドンッ! ←大量のスケルトンがドアを叩く音
「こんなところで?」
「…………こんなところで」
 豪胆にも程がある。このスケルトンの軍勢については僕が原因だが、それはそれとして迷宮でスヤスヤ眠れるのは常人のメンタルではない。どう控えめに表現しても頭がおかしい。
 もしかしたら何か、のっぴきならない理由があってここで寝ていた可能性もあるが……そんな理由など存在し得るのだろうか。ともあれ初対面で頭がおかしいと判断するのも失礼な話なので、一応確認しておくことにした。
「ちなみに寝ていた理由は?」
「…………そこにベッドがあれば誰だって寝るわ」
 やっぱり頭がおかしいんだなぁこの子。
 僕は何を言い返すべきか分からなくなって、とりあえず話を戻すことにした。
「あー、えっと。巻き込んじゃって申し訳ないんですけど、少し力を貸して貰えませんか? 実はこの扉の向こう側に、大量のスケルトンが居て」
「…………スケルトン?」
 少女はぼんやりとしたまま扉に視線を向ける。
「…………嫌よ」
「なんでさ」
「…………眠いから」
 もう一生そこで寝とけやチクチョウ。
 そしてその言葉を最後に、金髪の少女は再び横になって寝息を立て始めた。よくもまぁこんな騒がしい部屋で眠れるなと僕はドン引く。とにかく助力を望めないのは明らかだった。
「のわぁッ!? 扉が!」
 バキィと音を立て、僕が支える扉についに穴が空いた。その穴からはスケルトンの腕が飛び出し、僕を捕まえようと宙を引っ掻く。
「くっ!」
 仕方ない。あの女の子のことは忘れよう。
 僕は扉から離れ、銃を構える。
 勝負はすなわち、僕がどれだけスナイパーライフルを使いこなせるかだ。スナイパーライフルを用いた近距離戦闘の経験などほとんどないが、如何に効率的に立ち回れるかが肝である。問われるのはセンス。初めてプレイするゲームに、ワンプレイでの適応を求められるかの難題だがやるしかない。
「無理ゲー臭が凄い、けど――」
 僕に近づいてくる、数多のスケルトン。
 そのうちの一体の頭部に、僕は弾丸をぶち込んだ。
「――まぁ、これはこれでワクワクするよね」
 戦闘開始。

 ☆

 一方その頃、蓮司とアキは。
 スケルトンによる堅牢を誇っていた音楽室へと戻り、件の豪華な扉の前に立っていた。晴斗を生贄に差し出した甲斐あって、特に苦労することもなく今に至る。
 蓮司は晴斗の犠牲を露ほどにも気にしていない様子だが、対してアキは若干の罪悪感を感じていた。
「……晴斗さん、無事だと思います?」
「はぁ?」
 勿論、セイテンの強さは知っている。幾度も繰り返し閲覧したプレイ動画を思い返せば、彼こそが世界最強であることに疑いはない。
 だがそれでも限界はあるはずだ。人間の手足が二本ずつであるから故の不可能が、間違いなく立ち塞がる。冷静になったアキは今頃になって、「少し晴斗さんを過信しすぎたかも」と後悔していた。
――が、そんなアキを見て蓮司は鼻で笑う。
「くくっ。なぁアキ、今度三人でVRゲームでもやろや」
「……VRゲームですか?」
「ああ。MMORPG辺りがええかもしれへんな。竜やら巨人やらがバンバン出てくる奴や。一時間も一緒に回れば、あの化け物を心配するなんてアホらしくなるで」
 蓮司は何か凄まじい記憶を思い出すような瞳で、右手の錫杖を軽く鳴らした。
「確かに俺はアイツに向かって『俺たちの為にここで死ね!』言うたけどなぁ。あの程度の敵で晴斗が死ぬとは微塵も思っとらんわ。アイツはバカでブサイクで変態だが、最強なのは間違いねぇ。あの天才を同じ人間だと思わん方がええ」
「……」
 それは確かにそうだなぁ、と思いながらアキは押し黙る。
「レヴェリレートって知っとるか?」
「それは勿論。今どき総理大臣の名前よりも知名度上ですよ」
「だよなぁ?――そんで驚くことなかれ、その栄えある第一位の正体はあのバカや」
「ナ、ナンダッテーッ!?」
 驚く演技をしながら、アキは自分の演技の白々しさに悲しくなった。あまりにも嘘が下手過ぎる。
 いずれ一人で嘘を吐(つ)く練習をしようと固く誓った。
「ん? もしかして知っとったか?」
「い、いやいやまさか! ただここまで一緒に迷宮を進んで、相当強いのは分かってたので!」
「あー、それもそやな」
 蓮司は大人しく納得する。
「......でもオレに教えて良かったんですか? レヴェリレート1位のセイテンさんって、いつも仮面で素顔を見せないことで有名ですよね。てっきり正体を隠しているのかと」
「別に正体は隠しとらんわ。晴斗が積極的に話すタイプちゃうだけで。素顔を見せない理由の方は、まぁ俺の口から言う話やないが」
「そうですか」
 気にはなるが、問い詰めるべき内容ではない。そう思ったアキは、返事をするだけに留めた。
「ちなみに俺は628位」
「え。めちゃくちゃ凄いじゃないですか」
「やろ? 話は変わるが実は俺、YuuTubeでゲーム配信しとってな。少し前に登録者数が200万越えたんや」
「マジですか!?」
「マジマジ。『Lenlen』ってチャンネル知っとる?」
「知らない訳がないですよ……。『Momster Hunter』ってゲームタイトルで日本一上手いって言われてるプレイヤーじゃないですか。ソロ討伐RTAで、世界記録をいくつも所持してると聞いてますよ」
「そうそれ。それ俺や。……いやぁ久しぶりに褒められるとむちゃくちゃ嬉しいわ。晴斗が隣に居ると、いつも俺の存在が霞むからなぁ」
 そう呟く蓮司の背には、哀愁が漂っていた。
 だがそれにしても600位台は本当に凄いとアキは思う。よく挙げられる基準としては、順位が100万を下回れば廃人で、10万位で奇人。実力派配信者として名を馳せるには1万位程度の実力が必要で、5000位ともなればプロゲーマーとして余裕で食べて行ける。
 そして三桁順位のプレイヤーは化け物以外の何物でもなく、誇張抜きで『一人混じるとゲームが成立しなくなる』というレベルだった。
「ま、ゆーて俺が晴斗に勝ったことは一回もないんやけどな」
「……はは。そんなに強いんですね晴斗さん」
 アキは頬を掻きながら苦笑いをした。
 そりゃそうだろうな、とは思うだけにする。

 ☆

 多対一の戦いにおいて、絶対に気をつけなくてはならないことが一つある。
 それは「囲まれない」ことだ。常に全ての敵を視界に捉え、死角からの攻撃を決して許さないのが、人数不利を覆す第一歩と言えよう。だからこそ大人数を相手取るときは「退きながら」、「一体ずつ倒す」というセオリーが僕の中にはあった。
 しかしそれが叶うのは、常に背後にスペースを確保している場合に限りであり――つまり逃げ道の無い今回は、四方八方を囲まれてからのスタートとなる。
「……この状況からどうしろと?」
 絶体絶命。四方に敵あり。
 どこに目を向けようとも、どこかしらが必ず死角になる。西洋剣、メイス、棍棒、刀、ハンマー、弓矢とエトセトラ。常に背後に敵が居て、容赦なく後頭部を何かしらの武器が襲ってくるわけだ。
「いやいや、こんなの無理でしょ――」
――って、思ってたんだけどな。
 軽く跳ねて、背後のスケルトンを蹴り飛ばす。
 と同時に左のスケルトンに発砲、の反動で跳ねる銃口で右からのメイスを受け流す、に合わせて顔面に胴回し蹴りを喰らわせ、ついでに空薬莢を排出。
 両足を宙に浮かせた蹴り姿勢のまま、手前の一体に再び発砲して――そのインパクトで自分の身体を回転させ、背後から振り下ろされる大剣を躱した。
 ああ楽しい、思考の接続が加速する。
「うーん、思ってたより余裕かも」
 どうやらスケルトンにはかなり優秀な戦闘AIが組み込まれていたようで、まるで人間を相手にしている気分になる。だからこそ次の動きを読みやすく、死角からの攻撃にも対応できた。スケルトンの数はみるみるうちに減っていく。いつの間にやら半分は消滅し、僕が自由に使えるスペースも随分と広くなっていた。
「…………あなた、笑えないくらい強いのね」
 ふと、ベッドから声。チラリと一瞬目を向けると、金髪少女がスライムと見紛うほどに脱力した姿勢で僕を見ていた。
「そちらこそ、笑えるくらい吹っ切れたダラけ方してますね」
「…………そう? このくらい普通。あたしは横になれるスペースさえあれば、泥の上だろうと余裕で寝るわ」
「あ、そう……」
 何の自慢にもなっていないはずだが、金髪少女はフンスと自慢げに話す。僕は目の前のスケルトンを前蹴りで吹き飛ばしながら、耳だけをベッドの方に傾けた。
「っていうか、寝るんじゃなかったんですか?」
「…………そのつもりだったけど。あなたの戦いが面白くて、つい見入っていたの」
「じゃあ手伝ってくださいよ」
「…………いやよ。それはそれとして眠いもの」
 なんて自由なんだこの女。唯我独尊が止まることを知らない。彼女の娯楽になり続けるのも気分が悪いので、僕はさっさとスケルトンを片付けることにした。
「…………もしかしてあなた、蓮司より強い?」
「蓮司?」
 急に飛び出した知人の名前。蓮司なんて名前は珍しくもないが、単なる偶然であるよりかは、この少女が蓮司の知り合いである可能性の方が高いだろう。
 聞いてみる。
「蓮司って、藤野蓮司のこと?」
「…………あら、知ってるの。お友だち?」
「まぁそうですね。今ぶん殴りたい相手ランキングの圧倒的第一位ではあります」
「…………お友だちではないのね」
「友達ですよ?」
「…………ちょっと言ってる意味がよく分からないわ」
 何故だろう。友達と書いてサンドバッグとルビを振るのは特に不思議なことでもないはずだけど。僕の中で友達とは、裏切り合って殴り合って命のやり取りを繰り返す関係の呼称である。
「というか、先輩こそ――……先輩で合ってます?」
「…………合ってるわ。三年よ」
「良かった。先輩こそ、蓮司とどんな関係なんですか」
 こう言ってはあれだが、目の前の金髪少女はかなり可愛らしい見た目をしている。万が一にも蓮司の幼馴染だったりでもしたら、僕は嫉妬のあまりに蓮司の命を狩り取ることに――
「…………幼馴染よ」
「――ぶち殺す」
「…………小学生のときにキスもしたわ」
「ブ チ コ ロ ス」
 おかしいだろ、なんであんなクソ野郎に美少女金髪幼馴染なんて居るんだよ。ヤツに幸せなんて必要ない。少なくとも僕が緋菊先輩と結ばれるまでは不幸であり続けて欲しい。
 くそっ。まさかあの蓮司が、そんなにも恨めしい幼少期を過ごしているなんて――
「――死ねゴラァ!」
『カガッ!?』
 僕は怒りを拳に込めて最後のスケルトンをぶちのめした。スケルトンは理不尽に震える瞳を僕に向けるが、知ったこっちゃない。恨むならイラついてる僕の前に立ってしまった不幸を恨め。
 全てのスケルトンが消滅したことで、室内に平穏が訪れる。先ほどまでの騒がしさは消え、僕と金髪ロリ先輩だけが残された。
「……」
「…………なぁに? あたしの顔に何かついてる?」
 戦闘を終えた僕は、先輩の顔をジッと見る。しかしどれだけ見つめても、そこに横たわっているのは蓮司では決して釣り合わない美少女だった。
 やはり有り得ない。この子が蓮司に好意を持つなんて、僕が蓮司にゲームで負けるくらいに有り得ない。であれば、考えられる可能性としては――
「――蓮司に洗脳されたんですね?」
「…………されてないわ」
「良い精神科医を紹介しますよ」
「…………いらないわ」
「いえ絶対に必要です。だって精神に異常がなければ、蓮司に魅力を感じるなんて不可能ですもん。少なくとも人類には」
「…………とんでもないこと言うのね」
 とんでもないこと? いやいや僕は常識的な発言しかしていない。蓮司に恋するくらいなら、オークの方が遥かにマシである。オークはちゃんと「ブヒッ」と喋れるけれど、蓮司の知能ではちょっと怪しい。
 僕は身振り手振りで必死に精神科に通う必要性を説明するが、しかし先輩は眠そうに欠伸をするばかり。僕の先輩を心配する気持ちは、結局伝わらなかった。
「…………あたしはね、蓮司のことが好きなのよ」
「カニバリズム的な意味で?」
「…………あたしを何だと思ってるの?」
 致命的に趣味が終わってる人だなぁとは思ってる。
「…………とにかくよ。あなたが蓮司の知り合いで助かったわ。あたしはね、蓮司が好きで好きで好きで好きで好きで堪らないの。手段を選ぶ余裕もないくらいに、あたしは蓮司と付き合いたいの。あなたに分かるかしら? この気持ち」
「あー、まぁ……」
 分からんでもないのが悔しいところ。僕が緋菊先輩に抱く恋心は、まさしくそのレベルの強さと歪みを兼ね備えている。
「…………だから蓮司に会ったら伝えておいて。近いうちに、夜魅(よみ)夢吊(むつり)があなたを捕まえに行くって」
「それが先輩の名前ですか?」
「…………ええ。蓮司は絶対に覚えているから」
 夜魅。どこかで聞いた苗字だな――って、黒宮先輩の言っていたもう一人の仲間の名前ではないか。いや冷静に考えれば、この場にいる時点で当然の話なのだが、生憎蓮司への怒りが僕を冷静にはしなかった。
 というか先輩、「捕まえに行く」って言ったか? 迎えに行く、ではなく捕まえに行くとは一体どういうことなのか。
「…………ふふっ、また『おままごと』しようね。蓮司」
 何やら平穏な単語が不穏な文脈で聞こえた気がするが、きっと聞き間違いだと願いたい。
「…………それで、あなたはここに居ていいの? 最上階はまだ先よ」
「平気です。僕は仲間に見捨てられた身なので」
「…………そう。酷い仲間がいたものね」
「ちなみに蓮司ですけどね。見捨てたの」
「…………きっと身を裂くような葛藤の末の判断」
「んなわけあるか」
 ヤツに迷いなんて欠片もなかった。初期装備のひのきのぼうでも、もう少し捨てるかどうかに迷うはずだ。
「というか女の夜魅先輩が迷宮に入っちゃった時点で、そもそもボス部屋を目指す意味無いですし。今日は男子組の日だって他の先輩たちに言われなかったんですか?」
「…………言われた、ような? よく覚えてないわ。男の子が生徒会に入ったという話は覚えてるけど」
「そこまで覚えてるなら絶対言われてますよそれ」
「…………ええ、正直あたしもそう思う。蓮司の名前まで教えてくれば絶対に忘れなかったのに」
 そう呟くと夜魅先輩は、悲しそうにため息を吐いた。
 蓮司と夜魅先輩の状況を整理すると、「久しく会っていなかった幼馴染同士が、迷宮という強い繋がりを得て再会を果たす(予定)」となる。
 いやはや何とも羨ましい。心底ムカつく事態である。
「アイツだけ《ペイン・アブソーバー》外れないかな。ちゃんとダメージを食らうたび苦しんで欲しい」
「…………それは本当に死んじゃうからダメよ」
 ともあれ。今から追いかけても間に合わないと判断した僕は、どっかりと床に座り壁を背もたれにする。倒す意味も無いボスは蓮司とアキ君の二人に任せ、僕はこの部屋で休むことにした。
「…………あなたも寝るの?」
「寝ませんよ」
「…………このベッドはあたしの。絶対に譲らないわ」
「だから寝ませんって」
 夜魅先輩の激しい威嚇を受けて、僕は身を縮こまらせながらも身体を休めた。ひと時の休憩タイムである。僕はぼうっと天井を眺める。きっと今頃は蓮司とアキ君の二人はボスと戦っているのだろう。
「…………ねぇ、あなた」
「はい?」
 夜魅先輩に話し掛けられ、視線を落とす。ベッドは奪わないと言っているのに、まだ何か用事でもあるのか。
「…………異世界って信じる?」
「なんですか急に」
「…………別に、大した意味は無いわ」
 唐突過ぎる謎の質問。変わった人だとは思っていたが、まさかここまで変人だとは。僕は頭を掻きながら、その不思議な問いに答えを返す。
「先輩の言う異世界のニュアンスは分かりませんが、生徒会が目指している『異世界っぽい何か』って奴は信じてますよ。というか緋菊先輩が信じている以上、僕に信じる以外の選択肢はありません」
「……………そう。素直なのね。良いことだわ」
 夜魅先輩は目を細めて僕を見る。
 そこで僕らの会話は終了し、部屋の中には沈黙が満ちた。僕は今度こそ緊張の糸を解き、ゆっくりと息を吐き身体を休めた。
 そうして、それから数十分が経過。
 ふと夜魅先輩が口を閉じて天井を見上げる。何かに気づいたような表情だった。
「どうかしました?」
「…………今、誰かがボスを倒した。“登校”に成功した」
「なんですと」
 突然の宣言に僕は驚く。
 それはあまりにも唐突な発言だったので、僕は夜魅先輩の勘違いを疑うが――しかしその直後、シディルの声が響き渡る。
『――Congratulation。BOSS VEILの撃破を確認。本迷宮の攻略が完了しました』
「本当だ。なんで分かったんですか?」
「…………。なんとなく」
 ふむ。
 迷宮初心者の僕と三年目の先輩では、感じ取れるものも違うのかもしれない。どのような場であっても、やはり経験の差は生じるということか。
 蓮司たちはきっと「なんで報酬が出てこんねん!?」と叫んでいる頃だろう。可哀想に。僕も他人事ではないけれど。
――パキン、という甲高い音が鳴る。
「ん?」
 まるでガラスが割れるような音。それが前後左右から――どころではなく、空と地面からも響いた。慌てて音の原因を探すと、僕が「ガラスが割れるような音」と感じたのはまさしく正解で、今まで破壊不能オブジェクトであった全ての壁が、それこそガラスの如くひび割れていた。
「な、なんですかこれ」
「…………終わるだけよ。迷宮が」
 パキン、パキン、バキン……バキンバキンバキン。
 ひびは加速度的に広がっていき、ついに四方の壁は一枚残らず消え失せた。床と天井だけが残り、視線を水平にすれば外の景色が見える。残った床と天井からもあらゆる模様が消え去って、今はもう白一色となっていた。地面への道は一直線に繋がり、ここを通って帰れと言わんばかりである。
「…………じゃあ、あたしは帰るわ」
 そう言って夜魅先輩は僕に背を向ける。来た時とはまるで異なる帰還用のルートを、悠々と歩いていった。
「……うん。それにしても」
 僕は夜魅先輩の背中を眺めながら、先輩との会話を思い返す。
――夜魅 夢吊。
 曰く、蓮司の幼馴染で。
 曰く、蓮司とキスをした経験があり。
 曰く、今も蓮司に好意を抱いている。
「いや、やっぱ許せないよなぁ……」
 僕より先に、蓮司に彼女? そんなのダメに決まってんだろ。
 夜魅先輩の恋心は応援したいけれど、それ以上に蓮司の幸せを許せないのが僕である。どうにか夜魅先輩を傷つけない方向で、二人の仲を引き裂けないものかと思案した。
 僕は私怨で歯軋りをしながら、蓮司を不幸にする決意を固めるのだった。

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