〈第五章〉
四限の終わりが近づいて、約束の時間が間近に迫る。もう少し待てばチャイムが鳴って、大勢の生徒が食堂に駆け込むのだろう。
「生徒会室で、緋菊先輩が待っている。楽しみだ」
それはレイニとして緋菊先輩と初めて顔を合わせる、とても重要なイベントだった。
僕はベッドに寝転がり、スマホを起動して、そのまま彩淵学園のシステムにログインをする。そしてVR機器に備え付けられた機能を流用し、アバターと五感を共有できる状態まで進め、レイニの身体を身にまとう準備を終えた。
目を閉じて、そのまま数秒。
一瞬の浮遊感。身体から精神が離れる感覚。
「ふむ」
瞼を開ける。視点が変わる。
ベッドを見下ろす僕(レイニ)の目の前には、ベッドで眠る自分(晴斗)の姿があった。
「視覚よし、聴覚よし、嗅覚よし……で、痛覚もバッチリと」
目を開いて、耳を澄ませて、匂いを嗅いで、そして最後に自分の頬を軽く引っ張ってみる。痛い。神経の接続にも問題は無さそうだ。
鏡を見ると相変わらずの超絶美少女が写っている。ニコッと微笑むと、そのあまりの愛らしさに自分で自分に惚れそうになった。どうやら今日のレイニも最強らしい。
「よーし、準備万端!」
僕は軽く頬を叩いて、気合を入れ――
「よっしゃ、今日も頑張って行くかあいたぁ!?」
――盛大にすっ転んだ。
ゴチンと額と床の衝突音が小気味よく響く。めちゃくちゃ痛い。
「くっそぉ……忘れてた。そういえばレイニの身体って操作性が終わってるんだった……」
晴斗とレイニの肉体の違いが、絶望的な身体能力の低下を引き起こす。やはり可愛さの代償は大きいようで、相も変わらず歩行にすら慣れなかった。
というかアバターなのに、ちゃんと痛い理由も謎である。何故セーフティーが無いのだ。いやまぁ正規の使い方ではないから仕方ないのだけど。
「あ、スマホ持ってかなきゃ」
ちなみにレイニとして過ごす上で、絶対に持ち歩かねばならないアイテムはスマホである。レイニとなった僕が晴斗に戻る手段は、「レイニの身体で晴斗に触れる」か「スマホで解除する」のどちらかだけなので、スマホは超重要アイテムなのだ。
僕は晴斗のポケットからスマホを取り出し、そのままレイニのスカートに仕舞う。そして再び転ばぬように気をつけながら、慎重に学校へと向かった。
☆
生徒会室。
と記された扉の前で、僕は呆然と立ち尽くす。そうした理由は単純で、扉にロックが掛かっていたからだ。
「ふむ。開かない」
大抵のドアは自動で開く彩淵学園だが、この部屋だけは例外。センサーの類いを切っていて、プラスで内側から鍵をかける手段があった。
仕方ないので、とりあえずノックをしてみる。
――コンコンコン。
これで中の人物が僕の存在に気づき、扉を開けて貰えると助かるのだがどうだろう。僕は腕を組んで少し待つ。
すると、
『…………入ってるわ』
扉の向こうから、聞き覚えのある声がした。今にも餓死しそうなくらいにダウナーな声色。
夜魅先輩の声だった。
「???」
というか「入ってるわ」ってなんだろう。僕の記憶が確かなら、ノックに対して「入ってるわ」と返すのはトイレだけである。もしかしてここはトイレなのか?
「あの、生徒会長さんに用事があって来たんですけど」
『…………そう』
「扉を開けて貰えませんか? 声の距離的に、多分めっちゃ近くに居ますよね」
『…………』
謎の間。僕は何を待たされているんだろう。
「あ、もしかしてタイミング悪かったですか? ダメそうなら出直しますけど」
『…………ダメではないわ。でも――』
「でも?」
『立ち上がるのが、めんどくさいの』
「今すぐに開けろやお前マジで」
この扉の先で緋菊先輩が待っているというのに、そんな理由で妨害しようとは良い度胸である。売られた喧嘩は迷いなく買うぞ僕は。
夜魅先輩はその後も悩ましげな呻き声を洩らすが、
『…………分かったわ。少し待って』
しかし僕のガチトーンボイスが多少は効いたのか、ついに立ち上がる音が扉越しに聞こえ、そして小さな駆動音と共に扉が開く。
「…………初めまして。あなたがレイニ?」
開かれた扉の目の前には、件の金髪ロリが立っていた。
「…………あなたのことは、ほんの少しだけ聞いてるわ。あたしは書記の夜魅 夢吊。よろしくね」
「こちらこそよろしくです、夜魅先輩」
僕は初対面を装って握手を交わす。否、レイニとして初対面であることに嘘偽りなどないのだが。
部屋の奥を覗き込むと、緋菊先輩と黒宮先輩が集中して話し込んでいる姿が見えた。二人は並んで、何かの動画を映したホロウィンドウに熱心な視線を向けている。
「…………さぁ。見ての通り、会長なら奥よ。入って」
「お邪魔しまーす」
僕は夜魅先輩の手招きに従い、中へと進む。
それなりに広い部屋だった。内装に大きな特色はなく、ほんのりと上品さを漂わせるのみ。しかし整頓の仕方や備品の種類が僕の自室とはまるで違って、ここが女の子の集まる部屋だと肌で理解した。男の僕では気疲れしそうな空気で、あまり長居する気にはなれない。
蓮司もアキ君も「呼ばれない限りは絶対に来ない」と言っていたので、恐らく僕の男としての感性は正常である。
(でも緋菊先輩と頻繁に会いたかったら、ここに入り浸るべきなんだろうなぁ……)
そう考えると、少し気が重くなる。そんな小さな葛藤を抱えながら、僕は緋菊先輩の側へと歩いた。
「――ああ、よく来てくれたね。キミがレイニ君か」
相変わらずの凛とした声だ。つい惚れそうになる。いや僕はもうとっくに惚れていたか。
「初めまして。今日も先輩は世界一麗しいですね」
「え? う、うむ……? ありがとう?」
早速驚かせてしまったが仕方ない。僕は思ったことをすぐ口に出してしまう側の人種だ。今さら反省などしない。
「入学式でも名乗ったけれど、私は緋菊七姫。……いや今のキミの反応を見る限り、改めての自己紹介など不要だったかもしれないが」
そんな困惑気味の緋菊先輩の言葉の終わりに合わせて、黒宮先輩が質問を口にする。
「会長、もしかしてこの子が例の?」
「そうだ。昨日の昼に、食堂でわた――……アキが、見つけてくれた、新しい仲間候補だよ」
「なるほどアキさんが。そうですかアキさんが。流石はアキさんですね頼りになりますね」
なんでそんなにアキ君を強調する……?
僕の知らぬ内にここまで生徒会での立場を確立するなんて、もしやアキ君はかなり手腕の持ち主なのかもしれない。
「初めまして、レイニさん。アキさんから話は伺っていますよ。副会長の黒宮白乃です。よろしくお願いします」
「こちらこそです、黒宮先輩」
僕は黒宮先輩に差し出された手を握り、笑顔で顔を見合わせる。これで黒宮先輩から自己紹介を受けるのは二度目だが、レイニとしては初回であることを忘れてはいけない。僕は丁寧に自己紹介を返した。
「ところで先輩方はさっきまで何を? 何か動画を見てましたよね?」
首を傾げて僕は問う。もし生徒会の業務の一つなのであれば、手伝いたいところではあるが。
ところが返ってきた答えは、僕の予想とはまるで違った。
「推し活だ。とある人物の動画を見ていた」
「……推し活?」
「うむ。推し活」
推し活といえば、アイドルやVtuberやらを応援する行為のことだが……。
「え? 先輩も誰かを推してるんですか?」
「そりゃあもう。推しに推しまくっているよ」
「そ、そうですか……」
別に緋菊先輩が誰のファンだろうと困ることはないが、しかし先輩にそういう相手が存在するというのは意外である。一体誰を推しているのか知らないが、僕は猛烈にその人物が羨ましくなった。
「ウチ、何か甘い物を持ってきますね」
黒宮先輩は立ち上がると、慣れた所作で僕の手前の椅子を引く。僕は慌てて礼を言いつつ、そそくさとその椅子にお尻を乗せた。
「レイニさんは好きなお菓子とかあります? 色々置いてますよ。マカロンとかクッキーとかマシュマロとか。ちなみにウチのオススメはマカロンです」
「私は饅頭が食べたいな」
「お饅頭は無いですね」
「そう、か……。饅頭は無いのか……」
緋菊先輩はこの世の終わりみたいな顔をする。
饅頭如きで何故そんな。
「レイニさんはどうします?」
「あ、僕は大丈夫です。実は甘いのはあんまり好きじゃなくて」
今の僕はホログラムの身体。食べ物を飲み込んでも、消化ができずに体内に残ってしまう。
味覚はあるので食事を楽しめない訳ではないが、後処理が面倒なので飲食は避ける方針にしていた。
「そうでしたか。ポテチとかもありますけど」
「しょっぱいのも好きじゃなくて」
「ビターショコラもありますよ」
「苦いのも好きじゃなくて」
「……一応、あとは梅干しが」
「あ、酸っぱいのもダメです」
「逆に何が食べれるんです……?」
やっちまったぜトンデモ味覚人間の爆誕である。コイツは本当に何食って生きてるんだろうね。
黒宮先輩に憐憫の目を向けられ、僕は居た堪れない気分になり目を逸らした。
「まぁいいさ。そういうことなら生徒会室でゆっくりする必要もないね。さっさと本題に入ろうじゃないか」
そう言うと緋菊先輩は、立ち上がって背を伸ばす。どうやら他の部屋へと移動するらしい。
「この彩淵学園には『模擬狩猟室』という部屋がある。我々がキミを呼んだ理由については道中で説明するが――その話を信じて貰うのに、『模擬狩猟室』で見せられる光景は実に都合が良いんだ」
模擬狩猟室。そういえば入学式の日に、アキ君がそんな部屋の存在を口にしていた気がする。どんな場所なのかと、僕は少し興味を惹かれた。
☆
廊下を歩く、廊下を歩く。
夜魅先輩はソファで爆睡してしまっていたので、夜魅先輩を除く三人で模擬狩猟室に向かうことになった。
その道すがら二人は迷宮と指輪について教えてくれたが、しかしその中に異世界の話は含まれなかった。もしかすると僕(レイニ)がまだ迷宮を見ていないという状況を踏まえ、段階的に伝えるべきと判断したのかもしれない。
何にせよ、一通りの説明はすぐに終わった。
今の僕は緋菊先輩と黒宮先輩が並ぶ後ろを、とっとことっとこと付いて歩いている最中である。二人は何やらコソコソと話しているが、僕の耳には届かない。
「(会長会長。レイニさん、めちゃくちゃ可愛いですね。こんな可愛い女の子、どうやって見つけたんです?)」
「(どうやっても何も、偶然としか……)」
「(正直この子、ウチの好みのド真ん中です)」
「(え?)」
「(ってことでウチ、本気で口説きに行きますね。邪魔しないでくださいよ会長)」
「(は?)」
一体何を話しているのだろう。僕は少し気になるが、やはり二人の話し声は聞こえない。
「(いやいや口説くって……。キミが男も女も許容できる両刀なのは知っているが、しかし生徒会の内部でいざこざを起こされては困るよ)」
「(上手くやります。大丈夫です)」
「(残念だけれど信用できない。キミが私にベタベタと引っ付くせいで、私にまでレズ疑惑の噂が広まった件をもう忘れたのかい? あんな迷惑はもう御免だ)」
「(それについては謝ったじゃないですか。最近は距離感にも気をつけてますし、そもそも会長のことはもう諦めてますよ。大好きですけど、狙ってはいませんから)」
「(本当かい? 最近キミが、私の恋愛対象は女だと言い触らしているなんて噂も聞くが)」
「(はて??? なんのことだかさっぱりです)」
「(……なら構わないけれど。というかそもそもの話、レイニ君を口説くのは難しいと思うよ)」
「(何故です?)」
「(レイニ君は既に私に惚れているからさ。アキとして顔を合わせたときに聞いてしまった)」
「はぁ!?」
黒宮先輩の大声に、僕はビクリと震える。一体何が起きたのかと、僕は二人に一歩近づき控えめに問うた。
「ど、どうしたんですか?」
「失礼。目の前を大きな虫が駆け抜けたもので、つい」
「虫……?」
そんなもの居ただろうか。しかし追求しても意味は無さそうなので、僕は首を傾げるだけにして元の位置に戻った。
「(ど、どうするんですか? 付き合うんですか?)」
「(まさか。私は恋愛自体に興味が無い)」
「(なんて勿体ない……。まぁウチとしては有難い話ですけどね。でしたら遠慮なくアプローチさせて貰いますよ)」
「(まったくキミは昔から本当に、可愛い女の子が絡むと人が変わるというかなんというか……)」
ふと緋菊先輩が溜め息を吐く。それは黒宮先輩に対して呆れているような雰囲気だった。
「っと、着いたね。ここが『模擬狩猟室』だ」
目的地に到着。迷宮ほどではないにせよ、ただの校舎にしては随分と入り組んだ廊下の先にそれはあった。隠されているといっても過言ではない。
二人が立ち止まるのに合わせ、僕は目の前の大きな扉を見上げる。
「入ったことはあるかい? レイニ君」
「いえ、一度もないです」
「だろうね。なんたってこの部屋の扉は『幻装の指輪』が無ければ開かないのだから。鍵としての使い方を知っている必要がある」
じゃあなんで聞いたんだろう――と緋菊先輩の様子を窺うと、どうやら僕を揶揄(からか)っただけのようで、くすくすと笑っていた。なんだか晴斗として話しているときよりも茶目っ気を感じて、隙が多いような印象を受ける。
やはり話す相手が男か女かで、多少なりとも雰囲気が変わるのは緋菊先輩も同じらしい。
「ちなみに一般生徒の間では、こういう鍵付きの部屋はシディルの生成ミスという認識で通っていて、『開かずの間』として学園七不思議に数えられていたりする。つまり真実を知るのは、私たち生徒会と隠蔽主犯のシディルだけさ。……少しワクワクしないかい?」
「ワクワク。秘密基地、的な?」
「ふふっ、いいね秘密基地。まさしくだ」
僕は緋菊先輩の後ろに付いて、重々しく開かれた扉を潜った。
中に入ると、精巧な機械の数々が目に入る。どれが何の用途で使われるかなど見当もつかないが、しかし中央の円形スペースが、戦闘用のフィールドであることだけは容易に想像できた。
『――模擬狩猟室へようこそ。三名の入場を確認しました』
ふと天井からシディルの声。見ると天井の何ヶ所かに、ホログラムでスピーカーが生成されていることに気づく。
『最終アップデート――19時間前。累計登録ヴェイル数――7667体。内ボス数――236体。その他詳細データは入口横の端末で確認が可能です』
「報告ありがとう、シディル。早速だが昨日討伐されたボスを読み込んで貰えるかい?」
『畏まりました。Lv.3BOSS――グレイズ・エレファンの顕現を開始します。顕現時は停止コマンドが適用されておりますので、戦闘を行う際にはプロンプト更新指示を入力してください』
何やらシディルがよく分からない言葉を並べ立てるが、目の前で起きた出来事は至極単純である。
巨大な象型のヴェイル……恐らくは蓮司とアキ君が昨日倒しただろうボスが、僕たちの目の前に現れた。怪物の頭部の斜め上には【Lv.3 BOSS/ グレイズ・エレファン】の文字がホログラムで浮かんでいた。
それは象のケンタウロスとでも呼ぶべき異形。しかし身体の大きさは象を越え、両の手には重厚な斧が握られている。全身の装甲は「魔王」に相応しい、物々しい装飾に彩られていた。
「――とまぁ見ての通り、一言で説明するとここは『過去に出現した敵と戦闘するための部屋』となる。ゲーム風に言えば回想部屋、なんて表現が近いかもしれないね」
「回想部屋……」
「モブもボスも、全てのヴェイルがここで再現できる。慣れない敵と出会ったときに、訓練の用途でとても重宝するよ。レベル7ともなるとモブですら脅威になるからね」
「レベル7って、今解放されてる最高難度の迷宮でしたっけ。そのボスともここで戦えるんですか?」
「それはできない。誰かが討伐したヴェイルしか、この部屋には登録されないからだ」
「なるほど」
残念、戦ってみたかったのに。レイニの身体では厳しいと思うが、それでも試すだけ試してみたいと思うのがゲーマーの性である。
「という訳で、早速だが。レイニ君には、このレベル3ボスと戦ってみて貰いたい」
「え、良いんですか?」
蓮司とアキ君が、接戦の末に倒したというヴェイルだ。レイニの実力を測るには丁度良い。
「随分と乗り気だね。ならば私は観戦しているから、白乃と二人で協力し、このグレイズ・エレファンを倒してみてくれたまえ。……頼めるかい、白乃」
「畏まりました」
黒宮先輩はそう言って頷くと、静かに僕の隣に立った。同時に緋菊先輩は、観戦席らしき場所まで離れる。
僕はボスを見上げてポツリと呟いた。
「……なかなか迫力あるなぁ」
蓮司とアキ君が倒せたのだから、普段の僕なら余裕で勝てる相手なのだと思う。だが今の僕(レイニ)ではどう転ぶか分からない。体感だとレイニの強さはレヴェリレートの500位くらいなので、晴斗の身体とでは天と地ほどの差があった。
「こう見るとなかなか大きいですよね。怖いですか? レイニさん」
黒宮先輩が問うてくる。
僕はどう答えるかを少し考え、
「……あはは。ちょっと怖いです」
怖いと答えた方が女の子ポイントが高そうなので、迷うことなく嘘を吐(つ)いた。
勿論この程度のモンスターに怯む僕ではないが、しかし要所要所で女の子ポイントを稼いでおくのは大切である。先輩たちに「レイニはか弱い少女」というイメージを植え付けておけば、今後ボロを出したときに怪しまれずに済む。
という訳で僕は身体を震わす演技をしながら、ついでに渾身の上目遣いをぶちかましてやった。
「ッッッ!」
すると黒宮先輩は唐突に、頬を赤く染めて口元を隠す。
「どうしました?」
「い、いえ? 別に? 何もありませんよ?」
明らかに何かあるリアクションだが……。
「(会長ー!! この子やっぱり可愛いです!! ヤバいです!!)」
「(やかましい! いいから早く戦う準備をしたまえ!)」
なんだが隣の人が身振り手振りで騒がしい。
「心配いりませんよ、レイニさん。――貴方のことは、ウチが命に代えても守りますから(キリッ)」
「……んぇ? あ、はい」
前衛を張ってくれるという意味だろうか? 役割を事前に宣言してくれるのは助かるけれど、どうしてそんなキメ顔なのかは謎だ。
僕は巨大なグレイズ・エレファンを見上げながら、右手に嵌めた指輪に触れる。そして。
「「――【幻装・展開】」」
自分だけの武装を身に纏った。
晴斗のそれとデザインは違うが、武器は同じくスナイパーライフル。水色のポンチョをはためかせ、僕はグレイズ・エレファンに銃口を向けた。
『起動します。五秒前――四、三、二、一……』
さぁ、レイニでどこまでやれるのか。
気合い入れていこう。
☆
スコープを覗く。
巨大な眼球が映り込む。
不気味な黒が、僕の瞳と交差した。
「……」
射撃の腕には自信があった。FPSで鍛えたエイム力に、生まれ持った動体視力と反射神経。銃を構えると未来の弾道が鮮明に見え、どれくらいの偏差が発生するのかも直感で分かる。だからこそ着弾が想定とズレるなど、僕にとっては決して有り得ぬ現象だった。
――まずは、片目を奪う。
それは確信だ。撃てば確実に当たるという自信があるからこそ決めた、致命傷を狙う着弾点だった。
「ふっ!」
僕は小さく息を吐き、トリガーの指に力を篭める。
そして放った弾丸は――
「ぎゃふぅ!?」
――黒宮先輩の脳天を貫いた。
「白乃ーーーーー!?」
緋菊先輩の叫びが響き渡る。僕の謝罪も響き渡る。
痛みはなくとも衝撃は伝わるので、黒宮先輩の悲鳴は正真正銘の本物なのだと思う。
「し、死ぬかと思いました……ッ!」
「ごめんなさい!」
「何故ウチを撃ったんです!?」
「誤射です!」
「誤射!? 誤射でウチの後頭部のド真ん中を!?」
信じられないのも無理はない。だって撃った僕ですら驚くクソエイムだもの。いやはや晴斗状態の僕とは比べ物にならない射撃センスである。どうやらレイニ状態では、エイムに大幅な下方修正が入るらしい。
試しにもう一発撃ってみる。
「今度こそ喰らえ、グレイズ・エレファン! おら!」
「うぉぉぉぉ!? どどどどうして私を狙うレイニ君!?」
「違うんです! 狙った訳ではないんです!」
緋菊先輩が立ってるのは僕の後ろだってのに、何がどうなったら緋菊先輩に向かって弾が飛ぶのだろう。いくらクソエイムでも物理法則を無視するのは止めて欲しい。
いやもうホントに困った。持ち武器がスナイパーライフルなのに射撃センスゼロとはこれ如何に。これは実質、攻撃手段の消失である。なんなら詰みである。
「どうしよう大ピンチだ……ッ!」
「ちなみにウチの方がピンチです! 敵が二人に増えました!」
「確かに」
背後から弾丸を放ってくるヤツなど、敵以外の何物でもない。
――瞬間、グレイズ・エレファンが大きく暴れた。
『GRAAAAーーー!!』
「え? ちょ、ちょ待っ――おごっほぉあ!?」
僕の華奢な腹部に、巨大な鼻が深くめり込んだ。《ペイン・アブソーバー》のおかげで痛みは無いものの、ここまで綺麗にクリティカルヒットすると衝撃は相当である。まるでグレイズ・エレファンが「敵は俺だぞ! 忘れるな!」と叫んでいるようで、少し申し訳ない気分になった。
「く、くそぅ……。本当にどうしよう」
僕は冷静になって、自分に出来ることを考える。
どうにかして僕が活躍する姿を緋菊先輩に見せつけたいが、何か良い方法はないものか。
「うーむ」
ガラクタと化したスナイパーライフルを見つめながら、僕は自らの未熟さを嘆く。弾が出ても、狙った場所に当たらないのでは出ていないのと同じ。そして弾が出ない銃など、ただの棍棒でしかなかった。
僕は頭を抱え、どうしようかと悩みに悩み――
「これはもうスナイパーライフルでぶん殴るしかないのでは……?」
――いっそ棍棒として扱うことにした。
これは迷宮に潜った時に気づいた事実なのだが、幻装として生み出された武器は『破壊不能オブジェクト』に設定される。つまりどれだけ雑な扱いをしても決して壊れないし、何の問題もないということだ。
「よーし。やってやるぞ」
僕はトリガーから手を離し、銃身(バレル)部分を両手で握る。そしてストックを斧のように見立て、上段に高く構えた。
「えっと? あの、レイニ君? キミは一体何をしているんだい……?」
ふと後ろから、緋菊先輩の不安げな声が聞こえた。きっと今の僕は、銃という文明を知らぬ野蛮人みたいな見た目になっているのだろう。だが僕は気にせず己を貫く。
「き、聞いてくれレイニ君! 君が持っているのは『スナイパーライフル』という名前の武器なんだ! 決して相手に殴りつけるような道具ではなく、冷静沈着に敵の弱点を見極め、スタイリッシュに撃ち抜く為の――」
「オラ死ねやボケぇぇぇぇえ!!」
「待ちたまえレイニ君ーーー!!」
僕は大きく飛び上がり、グレイズ・エレファンと間近で顔を見合わせる。狙うは鼻の付け根、ド真ん中。弱点かどうかは知らないが、殴りやすいのでぶん殴る。
――ガゴォンッッッ!
僕の全体重を乗せて振り下ろした一撃は、凄まじい打撃音を響かせて、
『GRRRRAAAAAーーー!?』
グレイズ・エレファンに想定を上回るダメージを与えた。
「おお……! これが答えだったのか……っ!」
「断じて違う」
緋菊先輩の辛辣なツッコミが僕の心を傷つける。
だが何はともあれ、攻撃手段を見つけたのはとても大きな進展だった。
「これなら勝てる! さぁ頑張りましょう黒宮先輩!」
「……へぁ? え、ええ。そうですね」
困惑気味な黒宮先輩を追い抜いて、僕は再びグレイズ・エレファンに突撃した。
こちらの都合で申し訳ありませんが、前衛交代でお願いします。
☆
――ガツンッ! バッゴンッ! ゴガンッ!
あまりにも原始的な戦闘音が鳴り響く。それは石器時代にマンモスを狩るような音だった。レイニ君の手が構えるのは高性能なスナイパーライフルなのに、あれから一度として銃声が聞こえて来ない摩訶不思議。持ち手は持ち手として扱われず、ただ凄まじい打撃音を響かせる。外から眺めていて、ブンブンと振り回されるスナイパーライフルが可哀想になった。
「私は一体何を見せられているんだ……?」
レイニ君の武器が、晴斗君と同じスナイパーライフルだと判明した瞬間は驚いた。しかし彼とは扱い方があまりにも違いすぎて、今はもう同じ武器だと認識するのも難しかった。
「……あの、七姫会長」
ふと白乃が私の隣に立つ。今もグレイズ・エレファンは声高に暴れており、戦いは終わっていないが私に何の用だろう。
「……ウチもう、休んでいて良いですか?」
白乃は死んだ魚のような瞳で私に問う。
どうして白乃がそんな頼みを口にするのか理解できず、私は首を小さく傾げた。何故なら白乃が戦闘から抜けてしまうと、レイニ君がたった一人でボスと戦う羽目に――
「おい待て逃げんなお前オラァ!」←(半泣きのボスを追い回すレイニ君)
――なってしまうが、特に問題はなさそうだ。
「うむ。ゆっくり休むといい」
私は白乃の肩に手を乗せ、彼女のための席を《イーテル》で用意した。
レイニ君の心配? 必要なかろう。ボスが敗走を選ぶレベルの戦闘力の持ち主である。むしろこの状況から負ける方が無理という話だった。
「会長、とんでもない一年生を連れてきましたね。ウチらと大して変わらない強さじゃないですか」
「……うむ。あれはレヴェリレートでも確実に二桁には食い込むだろうね。レベル3のボスとは本来、プロゲーマー級が三人揃ってどうにか倒せる相手だ。それを一人で蹂躙できるなんて普通じゃない」
縦横無尽に飛び回るレイニ君を眺めながら、私と白乃は困惑気味に会話を続ける。
レイニ君の戦い方は、人間の選ぶ戦法としては異質な程に立体的だった。壁を足場に、敵を足場に、敵の振りかざす武器すらも足場にして攻撃に活かす。一見隙だらけに思える動きだが、彼女の回避には余裕があった。
言うなればひらりひらりと宙に舞い、手のひらで掴もうとしても風に流れて掴めない小さな羽毛のようで――
「――ほんの少し、セイテンの動きに似ている気もする」
「いやいやセイテンはスナイパーライフルで敵を殴ったりしませんけど」
「……それはその通りだが」
セイテンに憧れるゲーマーは多いので、レイニ君が彼を参考にしている可能性はある。とはいえ真似ようと思って真似られるスタイルでもないので、レイニ君のセンスがずば抜けているのは間違いなかった。
「ところで会長。レイニさん、めちゃくちゃ飛び跳ねるのでパンツが丸見えですね。ほら見えますか会長、可愛らしい青色のフリル下着ですよ。女の子なのに隙だらけでとてもエッチです。……ぐふふっ」
「だからそういうの止めたまえって。鼻血垂れてるよ」
「おっと失礼」
私は白乃にティッシュを差し出す。
『GRAAA――……』
「おや?」
丁度そのとき、グレイズ・エレファンの断末魔の声が聞こえてきた。どうやらレイニ君がボスを倒したようである。
☆
「緋菊センパーイ! ちゃんと見てましたか!? 僕頑張って倒しましたよ!」
「ああ、しっかり見ていたとも。素晴らしい(?)戦いぶりだったね」
僕が緋菊先輩の元に駆け寄ると、先輩は僕の頭に手のひらを乗せて撫でてくる。男としては複雑な褒められ方だが、しかし今の僕はレイニなので一旦喜んでおくことにした。
「それで実際に戦ってみて、レベル3のボスはどうだった?」
「正直余裕ですけど、十分強かったですね。市販のゲームとして売り出したら、絶対に苦情が出るレベルだと思います」
「ああ、確かに。死にゲーと呼ばれるジャンルのラスボスが、一つ下のレベル2に近いと私は思う」
つまり市販のゲームでの存在が許される限界ラインが、レベル2のボス相当だということ。グレイズ・エレファンはそれより遥かに強かったので、異常な強さの跳ね上がり方を考えると、レイニ(僕)一人で倒せるのはレベル4くらいが限界だろう。彩淵学園の迷宮の、異常な難易度の高さが窺えた。この調子だとレベル7の迷宮など、レイニではまともな探索すらできないかもしれない。
「レベル7ってどんな感じなんですか?」
「そうだねぇ……。まず世界観――迷宮タイプは『植物園』。だがあの不気味な閉塞感は、“密林”と表現した方が適切だろうね。“代わり映えのない景色”が特徴で、気づけば道を見失い前にも後ろにも進めなくなる。ハッキリ言って、迷宮のコンセプトとしては最難関の部類だよ」
「うっわぁ……」
なんて難しそうなんだ。聞いているだけで人生という迷路に迷いそうになる(?)。マップを覚えるのが苦手な僕としては、あまり嬉しくない情報だった。
「その迷宮タイプっていうの、変えられないんですか?」
「攻略に成功すれば変わるよ。逆に言えば攻略に成功しない限りは変わらない。……つまり残念だが植物園からは逃げられないってことだねぇ」
なるほど。つまり「迷宮タイプ」は各レベルごとに保存されているのだろう。昨日僕たち男子組はレベル3の『魔王城』を攻略したので、次回のレベル3では『魔王城』とは異なるコンセプトの迷宮が出現する。しかしもし失敗していたら、次回のレベル3は変わらず『魔王城』になっていたのだと思う。
「あれ? でも迷宮が変わらないなら、攻略を数日に分けて少しずつマッピングを進めたりもできるんじゃないですか? 悪いことばかりではない気もしますが」
「それは私も最初の頃に考えた。だがAIによる自動生成というヤツはそれすら許してくれなくてね。変わらないのは世界観だけで、『内部構造』はガラリと変わる。日を跨げば同じ道なんて一つもないさ。故に五時間という時間制限が、私たちの首を締め付ける」
どうやらシディルの性格は相当に捻くれているらしい。侵入する度に中の構造が変わるなんて、まるでローグライクゲームのようだと僕は思った。
「一筋縄ではいかないんですね。正直僕は、レベル7の難易度も想像がつかないです。どのくらい難しいんですか?」
「それはもう一歩進むのも命懸けなくらいには難しいが……実物を知らないキミには、どう伝えるのが正解なのだろうね。私の実力すらまだ見せていない以上、何を言っても不十分な気もするな」
「あ、じゃあ参考までに先輩たちのレヴェリレートを教えて欲しいです。もしかしたら迷宮のイメージが掴めるかも」
レヴェリレートほど分かりやすく絶対的な強さの基準は他に無い。あくまでもゲームの強さではあるが、迷宮における強さとだって十分にイコールで結べる筈だ。
「ウチらのレヴェリレートですか?」
黒宮先輩は、腰に片手を当て僕を見る。否、見つめているのは僕ではなく、僕が手にしたスナイパーライフルか。
「ランキングの一番上にセイテンがいて――で、そこから下に辿っていけば割とすぐに見つかりますよ。ウチらっぽいアバターネーム」
その言葉に、僕はピクリと震える。
「まぁ勿体ぶらずに言うと、ウチは29位です」
「マ、マジすか……っ!」
想像を超えた猛者だった。
レヴェリレートは全世界の全プレイヤーを内包する故に、ランキングの母数は十億を優に超える。一般的なゲームで上級者として扱われる上位1%という数字でも、1000万という順位にしかにしか届かない。
故に二桁とまで行くと、その人物は実在すら疑われる領域で――
「七姫会長は9位。……驚きました?」
――それはもう、最強格。
僕は呆然と、目の前の二人を眺めた。自分の順位は置いといて、そのクラスのプレイヤーとリアルで会うのは初めてだった。
「別に偶然ではないですよ。シディルが日本中から、そういう人間を集めているというだけの話です。彩淵学園がeスポーツの分野で有名なのも同じ理由。……とはいえレイニさんとかウチらは極端ですけど」
ああ、なるほど。そういえば僕も蓮司もゲームセンスを理由にスカウトされたのだった。
「会長、夜魅さんって何位でしたっけ?」
「覚えていないな。確か10位台ではあったと思うが……」
――というか、つまり、なんだ?
僕は頬を引き攣らせる。
もしかしてレベル7の迷宮って、相当ヤバいんじゃないか? その次元の三人が集まって、それでも攻略できない難易度ってあまりにも異常だろ。
どうやら僕は、彩淵学園の迷宮を舐めていたらしい。僕は世界最強かもしれないが、世界最強じゃ足りないのがシディルの産み落とす迷宮だった。僕は自分(レイニ)の小さな手のひらを見つめて不安になる。
「……」
だがしかし。
攻略に失敗したからといって、本当に死ぬわけじゃないのも事実である。ならばこの沸き立つ心に身を任せ、この世で一番難しいゲームとして興じるのが正解なのだろうと、
「……やっべー、楽しそう」
僕は下を向いたまま、にんまりと笑う。腹の底から気色の悪い声が漏れて、どうしても口角が戻らなかった。