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京都市民限定で求人が出ているとあるバイトについて|MF文庫J発売前4タイトル特別試し読み!

2025/11/14

第18話 百歩の家①


 ……それにしても思い込みというのは恐ろしい。

「深村の小娘はいつかお前を裏切るぞ」

 いついさんから言われた言葉がやけに引っかかって、僕は深村堂のことを調べ始めたのだが、僕は検索するまで深村堂にホームページがあったことすら知らなかった。
 実際に出入りしていたせいもあるだろうが、あの歴史のある古道具家とインターネットを関連付けられないようになっていたのだろう。
 しかし自分が関係している事柄を検索欄に打ち込むというのは大変な緊張を伴うものだ。以前、自分が履修している授業について調べていたら、他の受講者が教授や特定の学生を中傷しているログを引いてしまってしばらく具合が悪くなった。
 万が一、深村堂の悪い評判でも出てきたら悲しくなってしまう……そんなことを思いながらENTERキーを押したら、一番上にホームページが出てきたのだ。
 ホッとした反面、馴染みの店の知らない面を見た気がしてまた別の緊張に襲われた。
 深村堂のホームページに入る前に、検索結果を下にスクロールして変な口コミが引っかかっていないか確認する。だが懸念していたようなものは見当たらず、所在地や営業時間ぐらいの情報しか引っかからない。
 意を決して深村堂のホームページに入ったら、自分が売ったちゃぶ台が載ってた時の気分を想像してみてほしい。
 それだけじゃない。説明文は面はゆいし、3万円で売ったものに6万5千円の値がつけられているのも驚きだ。
 本当にこんなもの買う奴がこの世にいるのか? マニア向けにしても値付けがおかしくないか?
 僕は耐えられず、Webカタログをスクロールさせた。すると出るわ出るわ、変なものが山ほど売られていた。
 共通しているのは価値が明らかな美術品などはなく、一方で実用品もあまりない……要は世間からは「がらくた」と呼ばれそうな代物ばかりだった。ただ、いずれも必ず妙な来歴がある。
 まあ、嘘の来歴をつけて売るなんてことは商売人の基本だろう。買う方もある程度洒落を解して買うのではなかろうか。
 ただ、僕はこのちゃぶ台の解説が丸っきりの創作ではないことを知っている。ということは他の品物の解説もある程度は真実に基づいているのではなかろうか。
 ここに書かれた来歴から売主を推測して、直接話を訊きに行くというのはどうだろう? 京都市内なら負担も少なくて済む。
 それを閃いた途端、僕の目にはこのWebカタログが手がかりの塊のように見えた。

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 結論から言うと調査は進展した。
 Webカタログにあったヒビ泥眼の売主を能面職人とアタリをつけて、コンタクト取れそうなところを片端から当たってみたのだ。少し前の僕では考えられないアグレッシブさだが、ここ数回の仕事で多少のことには物怖じしないようになったのかもしれない。
 数度の空振りの後、売主の荻浦さんから話を訊くことができた。深村さんが二年前にお父上を亡くして苦労しているという情報も重要だったが、個人的には「百歩の家」というワードを入手できたことの方が大きい。
 荻浦さんから深村さんのお父上と付き合いのあったという祇園の質屋の場所も教えて貰った。だが訪問する前に百歩の家について情報を集めておくべきだと思い、色々と調べてみたのだが、想像よりはすんなりといかなかった。
 近くの図書館のレファレンスサービスで百歩の家について調べて貰ったが、小さい出版社の説話集とよく解らない学術誌にその名が出ているだけだった。ただ、活字になっている以上は百歩の家が荻浦さんだけの妄想ではないという証左でもある。
 それにいずれも30年以上前の本なので、ごく最近捏造された伝承でもない……と考えていいと思う。
 しかし祇園の質屋の仁科さんへの聞き込みは途中まで上手くいっていたのに、深村さんを狙ってるストーカーだと勘違いされて強制終了になった。こうなるともう深村さんの口から誤解を解いて貰うしかないが、そもそも深村さんに内緒の調査だからそれも無理だ。
 そんな感じで、主に僕の三月下旬は調査に費やされた。深村さんへの疑いを払拭できるほどの材料はないが、丸腰でないだけマシだ。
 何より、超然としているように見えた深村さんがお父上を亡くし、継いだ店を切り盛りしている人間だということが解っただけでも大きな収穫だ。
 深村さんは学生の妹さんがいるなんてことはおくびにも出さなかったが、その事実を知った今となっては僕の報酬から紹介料の分ピンハネしてたことも許せる。中学だか高校だか大学のだか解らないが、学費だって決して安くはないのだ。
 勿論、生きている人間の怖さはもう充分に思い知っている。だけど生きているなら、意思疎通はできるではないか。幽霊や怪異よりその点はマシな気がする。
 僕はそんなことを思いながら深村堂へ向かった。

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「なんや、もう顔出さへんのかと思った」
 深村堂に入るなり、そんな嫌味を浴びせられた。
「大袈裟ですね。ほんの一週間でしょ?」
 深村さんは拗ねたような表情で僕を見ている。思わずそう返すが、内心を気取られないように必死に平静を装った。
「頼も思てた仕事があると、一週間が一月にも一年にも感じるんやね」
 そう言って少し微笑んだ深村さんを見て、僕は動揺する。
 以前から僕は人の言葉の裏を読むのが苦手だ。でも今は僕なりに対策も編みだした。「不確定情報を自分に都合良く解釈しない」だ。
 拗ねてみせて、かと思ったら微笑んだり……深村さんにそういう人間らしいところを見せられると、ぐっと親しみが湧く。でも一方でこれは客商売の基本のようにも思える。
 これは……どっちだ?
「……なんや、ボーッと突っ立って。お茶淹れるからはよ座り?」
 戸惑っている僕を深村さんが呆れたように促す。
「あ、はい……」
 僕は近くの椅子に腰を下ろし、お茶を淹れに立つ深村さんの背中を眺める。彼女がお茶を運んできたら、どう話を展開しよう。一週間かけて調べたから話題はある。
 そうだな、「僕の仕事は妹さんの学費の足しになりました?」はどうだろう……いや、普通に気持ち悪いな。出禁を言い渡されてもおかしくない。
 これまで僕がコミュニケーションで失敗してきたパターンには大きく二通りあった。一つは目の前の相手に対して有効なカードが思いつかなくて投了負けみたいなやつ。
 もう一つは相手に有効な手札を握っていると思った途端に切るやつだ。しかし有効な手札にもタイミングというものがある。深村さんの家族に関する手札は有効だという直感はあるが、不用意に切らない方が良さそうだ。
「お茶菓子切らしてたから、お茶だけな」
 深村さんはお盆に急須と湯飲みを載せて戻ってきた。
「僕は京都歴が浅いので解らないんですが、それはぶぶ漬け的な言い回しですか?」
「ウチをどんなイケズやと思ってんねん。普通に忙しかっただけや」
「すみません」
 僕は湯気の立った湯飲みに手を伸ばす。
 深村さんが僕をどう思っているのかは正直よく解らない。でも個人的な好悪とは別として、深村さんにとって僕は何らかの価値はある……と思いたい。それがただの利用価値に過ぎないかもしれなくてもだ。
「そういえば深村堂ってホームページなんかあったんですね。カタログ、見ましたよ」
 結局、僕は極めて無難な手札を切った。
「ああ……手が足らんからあんまり載せられてないんやけどな」
「でも僕のちゃぶ台は載ってましたよね」
「ああ、あれは倉庫にしまい込んでないからな。サッと撮影して、文面考えて、載っけたらしまいや。ほら」
 深村さんの指差した先、店の角っこに僕の売ったちゃぶ台が鎮座していた。それも畳の上にのせてもらって、なかなかの厚遇だ。
「まあ、あのカタログは客引きというか、普通の古道具屋じゃないことを解ってもらうためのもんやからな。売れたら儲けもん、ぐらいでやってる」
「買う人っているんですか?」
「たまにな」
 いるんだ。
「『人間誰しも取り戻したいものがある筈』ってのがオトンの口癖でな。それを売るんがウチらの仕事。だからなるべく人の目に付くようにはしてる」
 深村さんはこれまでおくびにも出さなかったお父上の存在を仄めかす。信頼されたと見るべきか……いや、これは探りじゃないか?
 ここでお父上の話をしたら、深村堂を調べていたのを認めることになるではないか。
 僕は熱いお茶を啜るという態で、手札を握り潰して沈黙を守る。そんな僕に痺れを切らしたように、深村さんはこう訊ねる。
「……祟は何か買い戻したいものあるん?」
「うーん、何でしょうね……」
「そんな悩むか? 後悔なんて沢山あるやろ?」
「なくしたものだらけなのに、何一つお金で買い戻せる気がしないんです」
 仮に貯金が1000万円できたところで、僕が求めた青春というのは買い戻せるものではない。
「なんや、夢ないなあ」
「まあ、払わないといけないものだらけで、買いたいものまで考えてる余裕がないってのが実際のところですけどね」
「そう。じゃあ、こんだけあったらどない?」
 深村さんは袂から封筒を取り出して、僕に渡してきた。思わず受け取ってしまったが、これまでに受け取ったどんな封筒よりも重かった。
 思わず深村さんの目を見ると、訊ねるより先に答えを教えてくれた。
「50万ある」
「これまでの5倍ヤバい仕事ってことですか?」
 僕の冴えない冗談に深村さんは口元だけ笑って、こう答える。
「最悪、呪われる。まあ、立ち回りミスらんかったら大丈夫や」
 その表現に予感めいたものが働いた。
「そんで今回はいつもと違って、ウチからの直接の依頼。明後日、百歩の家ってところに行くから着いてきてほしいんや」
 ああ、やはり百歩の家だ。
「深村さんも一緒なんですか?」
「そない嫌か?」
「そうじゃなくて……自ら現場に出向くなんてリスクを冒すような人と思ってなかったので」
「ヤバい仕事はウチかて本意ではないんやけど、今回はしゃあない」
「その百歩の家で、僕は何をすれば?」
「説明が面倒やねんけど……要はアンタの歩数を買いたい」
 想像もしてなかった申し出だった。歩数を買うとは?
「百歩の家では百歩以上歩いたら呪われる。でも百歩の家を攻略するにはギリギリを攻めんとアカン……だから祟から歩数を買い上げたい。一歩につき5000円……これがウチで出せるギリギリのラインや」
 一歩につき5000円。バイト探しが馬鹿馬鹿しくなるレートだ。
「まあ、50万渡したけど実際の歩数で精算すると思ってくれたらええ。四十歩で済んだら30万は返してもらう。」
「だったら後日精算でいいじゃないですか。先に50万貰うのもなんか申し訳ないですよ」
 下手すれば高校生の一年分の学費ではないだろうか。深村さんの妹さんが通ってるのが公立か私立なのか解らないが。
「先渡したんはウチなりの誠意や。ちなみに一番賢いのは50万持って、このままとんずらすることや。京都の外に逃げるんやったらウチもよう追いかけん」
 冗談めかしているのでもなく、その表情は到って真剣だった。
 だから……踏み込みすぎは承知の上で、これだけは訊いておきたかった。
「どうして……そこまでするんですか? 百歩の家に一体何があるんですか?」
 僕の質問に深村さんは一瞬躊躇った後、こう答える。
「『人間誰しも取り戻したいものがある筈』って話したんは前フリや」
「深村さんにもそれがある、ということですか?」
 深村さんは肯くと、こう答えた。

「ウチ個人として……何より深村堂として、どうしても買い戻したいもんがあるんや」

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