紅炎の守護者
1
『――アル様、私の声、ちゃんと聞こえてらっしゃいます~?』
「うお、マジで聞こえる」
グラス越しに聞こえた少女の声に、半信半疑でいたアルは思わずそうこぼす。
原理はわかるし、結果の想像もできていた。が、それはそれとして、実際にやってみると小市民的に驚いてしまう自分がいて、何とも格好がつかないものだ。
『格好のお話でしたら、今のお召し物はよくお似合いですよ~、自信を持って。あ~、でもでも、グラスを耳に当ててるポーズはダサいかもですね?』
「人の心を読むんじゃねぇよ。あと、したくてしてるわけじゃねぇから」
『必要に駆られて、ですよね~。わかってま~す』
悪戯っぽい受け答えに嘆息しつつ、アルは少女の指摘に自分を客観視する。
普段のアルはTPOを弁えていないと言われること請け合いの山賊スタイルだが、今日はフォーマルなタキシード姿に無骨な鉄兜を合わせた、この春の新作ルグニカコレクション――アクセントに空っぽのグラスを兜の側面に当て、人気のないバルコニーで姿の見えない相手と会話中だ。
「ダサいどころか、シンプルに不審者」
『それって今さらじゃないです?』
「うるせぇな」
こちらのぼやきを丁寧に拾い、いらぬことをグラス越しに言ってくる相手に悪態。それからアルは、人の気配に賑わう会場の方に視線をやり、「で?」と尋ねる。
すると――、
『会場の右手奥、灰色の髪に髭のダンディな殿方』
「灰色で髭でダンディ、了解」
それを受け、アルはバルコニーの手すりの隅にグラスを隠すと、襟を正してパーティー会場へ戻る。そのまま、指示のあった該当の人物を探し、ちょっと手こずる。仕方ない。なにせ、参加者の大半が顔の大部分を隠したパーティーだ。
それでも何とか目標の人物を見つけ、素性を明かして相手を廊下へ連れ出した。
そして――、
「――星が悪かったんだよ」
人気のないエリアに連れ出せたところで、アルは本命の目的を明かした。
直後、二重の意味で紳士の面を脱ぎ捨てた相手に貫手で首を狙われ、身をひねって回避したアルは抜いたナイフで相手の脇腹を刺し、刃に塗られた毒でその命を奪う。
ぐったりと力の抜けた体を抱え上げ、屋敷の裏手に死体を隠し、ひと段落。
「クソ、六回も……強ぇなぁ、敵が」
一人片付けるのにもかなりの苦労が伴い、先のことを考えた頭が痛くなる。
その頭痛を引きずったまま、アルはその場所にも先回りして置かれていたグラスを手に取り、兜の側面に押し当てた。
『さすが、アル様、鮮やかでした~。でも、まだ先は長そうですよ?』
「――――」
『あれ? どうされました? 聞いてます? 糸張ってますし、聞いてますよね~?』
バルコニーで聞いた同じ少女の声に、頭痛の種をピタリと言い当てられたアルはしばらく返事を保留し、『もしもし~?』という呼びかけに答えない。
答えないまま、バーリエル邸で開催されている仮面舞踏会――マスカレードナイトで、自分が血腥い裏方作業に追われている理由を、ふと思うのだった。
2
――それは、アルが着慣れないフォーマルで夜会に参加する十日ほど前のことだ。
「プリシラ様が、『ますかれーどないと』をしたいと仰せなのであります!」
「マスカレードナイト……」
「はいであります!」と、ぼんやりしたアルの呟きにキラキラした目で答えるのは、バーリエル邸で働く健気なショタ執事、プリシラのお気に入りのシュルトだった。
そのやる気と好奇心で満杯な赤い双眸に見上げられながら、アルは自分の兜の金具をカチカチと指で弄りつつ、主の思いつきに肩をすくめる。
「まぁ、要するに仮面舞踏会ってこったろうが、何の影響で……って、舶来語で言ってる時点で、出所がオレなのは言うまでもねぇか」
「あ、でも、それをしてみたいと言ったのは僕なのであります。プリシラ様から、お顔を隠したパーティーがあるとお聞きして、つい……であります」
「なるほど。姫さんのシュルトちゃん贔屓は今に始まったことじゃねぇし、姫さん自身が仮面舞踏会好きそうなのも解釈一致だし、わかる話だ」
むしろ、プリシラの性質的には週一で開催していても違和感がない。なんて言ったら、さすがにお叱りを受けることはアルもわかっていたので言わなかったが。
ともあれ、そのシュルトの説明でアルにも合点がいった。
「それで、シュルトちゃんも他の子たちも、バタバタ準備に追われてるってわけだ」
見回せば、アルの前で足を止めているシュルト以外、屋敷で働く他の使用人たちが忙しなく駆け回っているのが目につく。生憎、仮面舞踏会の開催にどのぐらいの苦労が伴うのかアルには想像もつかないが、いきなりのパーティー、準備が楽なはずもない。
ただ、降って湧いた仕事に追われるわりに、彼らの顔に不服や不満は見当たらない。
「マジで、あれで人望あるのが姫さんの不思議なとこだわな」
「プリシラ様はお優しくてお美しいので、みんな大好きであります!」
と、ぼやきのようなアルのそれにも律儀に答え、シュルトがちょこまかと小さな体で弾むようにパーティーの準備をする同僚に合流していくのを見送る。
まだ幼く、使用人としては覚束ないシュルトだが、その純朴さには居合わせるだけで周りの人間に頑張らせる不思議な力があった。
「シュルトちゃんの愛嬌の為せる技、か。愛され系のシュルトちゃんの手足がぐぐぐっと伸び切ったとき、どれだけお姉さん方を惑わせる魔性になるか楽しみだぜ」
などと、そう益体のない上に不純な未来予想をアルが口にしたときだ。
「――わ~、アル様ったらピュアなシュルトちゃんでそんな想像、不潔~」
「――――」
ふと、聞こえてきた声にアルは兜の奥の目を細め、背後に振り返る。
シュルトと話していた庭園、その場にはアル以外の誰の姿も見当たらない。が、あんな悪意に満ちた声が幻聴のはずもなく、アルは真っ赤な花の咲き乱れる花壇に歩み寄り、どっかりと煉瓦の塀に背を預けた。
そして、背中越しに塀の向こう側に「おい」と声をかけ、
「迂闊に出張ってくんじゃねぇよ。プリシラ・バーリエル様のお屋敷は、不忠な真似をして首を刎ねられたメイドのホロゥが夜な夜な彷徨ってる、って噂が立つだろ」
「今、お昼ですし、ヤエちゃん足ありますし、そもそも不忠な真似なんてして首を斬られた覚えなんてないないですし~? ――まぁ、それより怖い目には遭いましたけど」
そう、減らず口の最後に少しだけトーンの違う感想を付け加える相手。その恨み言ともつかない嫌味に、アルは盛大に唇を曲げた。
煉瓦塀の裏に隠れ、屋敷の人間に見つからないよう立ち回る人物――塀越しに姿を見せない彼女は、赤毛に猫のような悪戯な目としなやかな体つきをした少女。以前はこの屋敷で働いていたが、現在は一身上の都合で退職したことになっている身。
ただし、彼女が見つかってはならない理由は、屋敷を辞めた人間だからではない。
彼女が屋敷の主であるプリシラ・バーリエルの暗殺を命じられた刺客で、他ならぬアルにその正体を看破され、計画を阻止された裏切り者だったからだ。
――ヤエ・テンゼン、それが塀の裏に佇み、アルと会話する少女の正体である。
「あの夜以来、私はアル様の忠実なる僕……アル様に命じられたら密偵みたいな真似も、殺し屋のような仕事も、娼婦としての立場も甘んじて……」
「オレが全部やらしてる極悪人みたいに言うのやめろ。今のとこ、密偵だけだ」
「今のところってことは~」
「三つ目にお鉢が回ってくることはねぇよ。何べんも言わせんな」
「二つ目もあるのに三つ目のお話に夢中なんて、アル様も男の子ですね~」
先回りしたつもりが、無敵の理論で潰されてアルはぐうの音も出ない。これ以上、この話題を引っ張っても自分が不利になるだけと、アルは話の筋の変更にかかる。
ヤエも、この屋敷に顔を出すリスクは承知のはずだ。それでもなお、そのリスクを踏み越えてアルに接触を図ったのは――、
「時に、お屋敷がずいぶんと賑々しいですね~。さっきも、シュルトちゃんがちょこまかしてて……相変わらず、抱きしめたくなる愛らしさ!」
「そりゃ同感だが、シュルトちゃん不足の禁断症状が理由じゃねぇんだろ? 何が……」
「――奥様の、次の暗殺計画が動いてるみたいです」
あった、と続けようとするのを遮られ、アルはその言葉の鋭さと冷たさ、そして内容の切れ味に目を細め、まずは静かに情報を脳に浸透させた。
プリシラ・バーリエルの暗殺計画、実に物騒な響きだが、そこ自体に驚きはない。
現在、彼女はルグニカ王国の未来を左右する王選の五人の候補者の一人であり、そうでなくてもその苛烈さから敵を作りやすい性格だ。賢く、全てを見透かすような眼を持つプリシラを邪魔に思い、消えてほしいと願うものがいても不思議はない。
だが、そのわかりやすい敵意も、ヤエからもたらされたものとなると話は別だ。
「ヴォラキア帝国が次の計画の準備中、か。なんでわかった?」
「以前、私が使ってた拠点に人が出入りした痕跡がありまして。たぶん、ヤエちゃんの後任が物資の回収に足を運んだっぽいで~す」
「おいおい、帝国の諜報作戦の要のくせに、迂闊な真似するシノビだな」
「向こうの落ち度とは言えませんよ。アル様には想像つかないかもですけど、帝国の人間が王国で暗躍するのって、めちゃめちゃ難易度高いんですから~」
アルの心無い評価に唇を尖らせたニュアンスのあるヤエ、彼女はそこに「それに~」と一言付け加えて、
「――ヤエちゃんが生きてて、ましてや帝国を裏切ってるなんて、あちらの方々に想像がつくはずないので、当然の成り行きなんですよ」
それは静かで、言葉だけで相手を殺せる切れ味を纏った言葉だった。
「――――」
その切れ味を首筋に当てられている錯覚を覚えながら、アルは片目をつむる。
実際、ヤエの言は事実だろう。――彼女は、ヴォラキア帝国のシノビの里が作り出した不世出の天才忍者で、最重要任務を与えられ、完遂を約束された存在だった。万一失敗したなら、帝国の情報を一切漏らさずに自死するよう魂に刻み込まれている。
そう、魂だ。その魂に刻み込まれたプログラムを、アルは力ずくで書き換えた。
そんなことはありえないから、ヴォラキア側のミスは、本来なら責められない。
「里のあらゆる苦行を鼻歌まじりに乗り越えたヤエちゃんが、王国で中年男に身も心も落とされて祖国を裏切るなんて」
「身に覚えのない冤罪やめろ。笑い話にもなりゃしねぇ」
「――。そ~かもですね。で、で、次の暗殺なんですけど~」
「休みの日の予定決めるみたいなノリ……」
「ほぼ間違いなく、奥様の開催される次の夜会で行われるはずです。『マスカレードナイト』って仰ってましたっけ?」
その、ヤエから提示された敵の暗殺計画の予想に、アルは思わず頭を抱えた。
当然だが、屋敷に招待客が多く出入りする夜会は暗殺の絶好のチャンスだ。しかも、おあつらえ向きに参加者が顔を隠すのが推奨される仮面舞踏会――もはや、ヤエ・テンゼンで失敗した挽回をしたい帝国に、セカンドチャンスを恵んだみたいな組み合わせである。
その巡り合わせにも頭を抱えたくはなるが、アルの最大の嘆きはそこではない。
「危ねぇからやめようぜって提案しても、絶対聞いてくれねぇ姫さんが目に浮かぶ……」
「奥様は、一度決められたことは頑として曲げてくださりませんしね~」
「そうなんだよなぁ、参ったぜ、どうも」
兜の継ぎ目を指でカチカチと弄りながら、アルはプリシラの機嫌を損ね、自分が折檻される現実味のある想像に肩を落とす。これがプリシラのおみ足で蹴られるぐらいならご褒美だが、本気の怒りを買って『陽剣』を持ち出されては手に負えない。
とはいえ――、
「――神出鬼没のシノビがいつくるか、当たりがつく方がマシって考えもあるか」
「――――」
「ヤエ、姫さんの説得は一応してみるが、期待はすんな。オレもしねぇから。それよりも当日、刺客を撃退する方に力を割くぞ。お前にも、仕事してもらうからな」
悲惨な考えを切り替え、前向きに対処しようとするアル。と、その呼びかけにヤエからの返事がなく、アルは「ヤエ?」と今一度、彼女の名前を呼んで、
「どうした? まさか、昔の仲間とやり合うのが嫌だとか……」
「――。いいえいいえ、全然そんなことは。ただ、アル様ってやっぱり怖いな~って」
「……ああ? なんだよそれ」
また軽口が始まったのかと、アルは付き合っていられないとそれを切り捨てる。それから、当日のために必要な要素を切り分け始めるアルの背後――、
「ホント、アル様って怖いお人です」
付け加えられたその一言は、思案するアルの耳には届くことがなかった。
- リゼロ
- 無料公開
関連書籍
-
Re:ゼロから始める異世界生活短編集 12短編集第十二弾に描かれるは、過去を物語る三つの断片。
青き日のユリウス・ユークリウスが、初任務で出会った赤毛の少女と事件の解決に挑む『First Mission』。
若かりしロズワール・L・メイザースが共犯者たちと共に、王国と帝国を揺るがす『人狼』を取り巻く陰謀に立ち向かう『Once Upon a Time in LUGUNICA II』。
そしてアルがヴォラキアのシノビであるヤエ・テンゼンと共に暗躍する『紅炎の守護者』――。
「ヤエ、手出しすんな。そいつには、やってもらうことがある」「――お望みのままに」
全編Web未掲載の過去を綴る物語。――歩んだ道が誇りとなり、誇りが志を支える剣となる。発売日: 2025/04/25MF文庫J