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「俺……自分が故郷に戻ったのは、四日前のことです。最初はただ、数年ぶりの帰郷だったもので、家族が余所余所しいのもそれが原因だと思っていました」
ぽつぽつと、跪く青年が自らの身に起きた出来事を語り始める。
場所は屋敷の玄関ホールから移って、最近は領民との謁見に使われることが多い大広間だ。床に紅の絨毯が敷き詰められた一室、左右の壁にはバーリエル領の私兵団、赤拵えの装備が眩しい『真紅戦線』の人員が並ぶ。
「――――」
そうした威圧的な赤が占有する広間の奥、豪奢な椅子に腰掛けるのは壮烈な赤いドレス姿の少女。この屋敷で最も赤が似合う彼女こそが、プリシラ・バーリエルその人だ。
そのプリシラの紅の視線を浴びながら、陳情にやってきた青年は懸命に、たどたどしくも事情の説明を続けている。
「妙だと思ったのは、所々で感じる受け答えの不自然さでした。記憶と違った話や、辻褄の合わない会話がやけに多くて……」
「単なるど忘れじゃ説明がつかねぇと。けど、それで屍人ってのも突拍子がねぇな」
と、青年の説明をつつくのは、屋敷の関係者で唯一、赤を纏っていないアルだった。
直立不動の『真紅戦線』や、プリシラの後ろに控える侍従長のヤエ、そしてプリシラの傍らに立つ幼い従者のシュルト――紅の瞳をプリシラに気に入られた少年も含め、大広間の関係者は全員『赤』を印象的に纏っている。
そんな中、アルの存在はまさしく異質、異邦人の佇まいだ。そういった印象は部外者の青年にもあるらしく、彼は怪訝そうな視線をアルへと向ける。
「も、もちろんそれだけが原因じゃありません。決定的な場面を、目にして」
「決定的な場面、ね。何を見たんだ?」
「そ、れは……」
顔を蒼白にして、問われた青年の視線が広間を泳ぐ。それは、自分の頭の中の記憶を恐れ、怖気づく表情だ。渇いた唇で何度も喘ぐ青年、続く言葉が出てこない。
あるいはそのまま、言葉と共に故郷への思いも萎えてしまいかねない反応だった。
だが――、
「――そこで黙るでない、凡愚」
そう、押し黙りかけた青年へと頬杖をつくプリシラが言い放つ。その容赦のない声音に青年の肩が震え、怯える視線の彼をプリシラは睨みつけた。
「怯懦に負ければ、貴様の唇は二度と動かなくなろう。それで妾の慈悲に縋ろうなどと言語道断、思い上がるのも大概にせよ」
「ぁ……」
微塵の優しさもない苛烈な言葉が、青年の怖じる心を灼熱で焼き尽くす。瞬間、青年の心に吹き荒れた強風と、痛々しい失望の色にアルは同情の念を抱く。
故に、アルはプリシラへと肩をすくめ、「姫さん」と呼びかけた。
「こんだけ弱ってる相手に追い打ちかけんなよ。何にでも言い方ってもんがあんだろ?」
「言い方なぞない。あるのは事実だけじゃ。――聞け、凡俗」
諌めようとするアルに鼻を鳴らし、プリシラは豊満な胸を強調するように腕を組む。そのまま彼女は、身を硬くする青年を真っ直ぐ視線で射抜くと、
「今ここで貴様が口を噤めば、命懸けで昼夜を駆け抜け、そうまでして伝えようとした故郷の無念が水泡に帰す。それを許容できるか、己の胸に問うがいい」
「――――」
「なに、一度は捨てた故郷よ。綺麗さっぱり忘れて生きるのも一つの選択と言える。それを賢いと呼ぶか、臆病と呼ぶかは知らぬがな」
言葉の苛烈さはそのままに、プリシラは青年の心を躊躇うことなく焼け野原にする。その結果、灰の山だけが残ったとしても彼女は気にしない。
しかし、彼女の焼け付く言葉を受け、瞳を押し開く青年は違う。
「――さあ、貴様はどうする? 臆病者か?」
「……臆病者、です。賢くも、ない。でも、卑怯者にはならない」
問いかけに、青年は顔を上げて答えた。その答えを、プリシラはまるで最初からわかっていたかのように鷹揚と頷いて受け入れる。
結果、まんまとアルの言葉は踏み台とされ、何とも腹の中が痒くなる気分だ。
そんなアルの方へと、意地の悪い笑みを向けるヤエが憎たらしい。プリシラの手元でハラハラとした顔のシュルトは可愛げがあるというものだ。
「帰郷した日の夜、違和感がしこりのようになっていて、自分は寝付けずにいました。家族と食事もせず、部屋で横になっていて……ふと、誰かが家を出ていくのに気付いたんです。まるで人目を忍ぶようで、それが気になってあとを追いかけたら……」
覚悟を決めた表情で、青年が我が身に起きた出来事の説明を再開する。そして、青年は微かな躊躇いのあと、決定的な言葉を口にした。
「――自分たちの、崩れる手足を縫い合わせ、縫合する村人を見ました」
「――――」
「最初は見間違いかと思いましたが、そうじゃない。あれは、腐りかけの手足をくっつけて、元通りにしようとしていたんだ。俺は、それを見てしまった」
見てはならないモノを目にした。物語において、そうした目撃者の末路は一つだ。しかし、青年は物語の法則に逆らい、その場から何とか逃げおおせた。
「枝を踏んで、奴らに見つかりました。けど、俺は必死に走って、逃げた。故郷を離れるときに使った、裏山への抜け道を使って。そして、ずっと走り続けて……」
息も絶え絶えの状態で、領主であるプリシラの下へと助けを求めにきたのだと。
「その、屍人というのはどこから出た話なんです? 彼らが屍人と名乗ったとでも?」
「……昔、故郷の辺りでは死体が動き回って人を襲ったなんて話がありました。それで親が子を叱るときに、屍人がくるなんて脅し方をしてたんです。だから」
「――迷信と思っていた屍人が現れたと、そう考えたわけですね~」
段飛ばしの結論を、ヤエが冷静な指摘で補足する。それを経て、彼女はちらとプリシラの横顔を窺い、口を閉ざした。アルも、同じく何も言わない。
青年の訴えへの結論はプリシラが出すべきだと、そう弁えている。
ただし、そう割り切れていないものも、この場にはいて。
「プリシラ様……」
か細い声で主を呼んで、潤んだ瞳を彼女へ向けるのはシュルトだ。幼く、心優しい少年は悲痛な青年の言葉に同情し、プリシラへ慈悲を求めている。
それはともすればプリシラの不興を買い、処断されかねない危険を孕んだ訴えだ。
だが、プリシラはそんなシュルトを見ると、少年の桃髪に指を差し入れて撫でる。撫でて、何も言わない。ただその行動だけで、シュルトは安堵の表情を浮かべた。
「――して、貴様は妾に何を望む? 故郷が屍人だらけになったと知らせ、危急の報告を妾へ届けた。その見返りに求めるのは?」
「どうか、故郷を取り戻して……いえ」
唇を噛み、青年は首を横に振った。プリシラの問いかけに希望を述べようとして、それが現実味のない嘆願だと自ら気付いたのだ。
プリシラは、望みのない希望を叶えようとはしない。この場で彼女が求める答えは、触れることのできない夢物語ではないのだ。
――すでに、起こってしまった出来事を変えることはできない。それはなんであれ、誰であれ、許されてはならない傲慢の所業だ。
故に、青年が口にしたのは救ってほしい、ではなかった。
「屍人たちを、滅ぼしてください。故郷を……俺の家族を、兄弟を、幼馴染みを、眠らせてやってください。――お願いします」
頭を下げ、青年が悲痛な、しかし覚悟のいる願いを口にした。
「――――」
それを聞いたプリシラが如何なる答えを返すのか。鉄兜の内から主人を覗き見たアルには一目でわかった。彼女に仕える広間の全員が、同じく解する。
プリシラは赤い唇を嗜虐的に緩め、満足げな笑みを浮かべていたからだ。
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