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【無料公開】『リゼロ』短編集4「高慢と偏屈とゾンビ」|43巻発売&第九章クライマックス直前記念

MF文庫J
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2025/12/18

   14

「さすが奥様でしたね~。ご自身もお味方も無事、お見事でした」
「当然じゃ。が、称賛の言葉は心地良い。好きなだけ賛美せよ」
「はは~」
 と、バーリエル邸の私室へ戻り、爪の手入れをさせるプリシラにヤエは平伏する。
 すでにエッダ・レイファスト――屍人を率いていた彼女の目論見は破れ、あとは周辺地帯に残った屍人を掃討し、事態を完全に収束させるだけ。
 始まりから終わりまで、ほとんどの物語をプリシラは自身の力で解決した。無論、そこに一握の助力をした自負はヤエにもあるが、本当に一握だけだ。
 全てはプリシラの掌の上で起きて、そしてそこから出られないままに終わった。エッダや屍人、ヤエやアルの奮闘も含めて全て。――それが、少しだけ恐ろしい。
「手が止まったな、ヤエ」
「……おっと、ごめんなさい、奥様。ちょっとだけ考え事を」
「ほう、妾の世話の傍ら考え事とは不遜じゃな。いったい何を考えた?」
「え~と、ほら、あれですよ。私が『真紅戦線』を連れて戻って、燃える屋敷の前で奥様たちと合流したときです。あのとき、アル様ったらやけに落ち着きがなくありませんでした? いえ、いつも落ち着きがないっていえばないんですが~」
 もちろん、死線を潜り抜けた高揚感が残っていたとも考えられる。なにせ、膨大な数の屍人を相手に生き延びたのだ。本当に、万一の可能性を潜り抜けて。
 正直、屋敷の前で二人の姿を見つけたとき、ヤエは生涯で一番驚いた自信がある。それを顔に出さなかっただけ、自分で自分を褒めたいぐらい。
 ただ、そんな高揚感では説明のつかないしどろもどろが、あのときのアルにはあった気がしたのだ。
「あれも馬鹿な男じゃからな」
 そんなヤエの疑問に、プリシラの返答は答えになっているようでなっていない。中核に触れないふわふわした答えだが、それ以上を語るつもりは彼女にはなさそうだ。
「――はい、奥様。お手入れ終わりました。相変わらず、嘘みたいにお綺麗です」
 煙に巻かれた気分のまま、ヤエはプリシラの爪の手入れを終える。言葉は世辞ではなく、プリシラの生来の美貌は本当に指先にまで通じている。
 全身、どこを取っても美の塊だ。同じ女として信じ難いほどに。
「このまま、シュルトちゃんをお呼びします? いつも通り添い寝して……」
「今夜はいい。万が一もあるまいが、一晩は様子を見る。酒杯から妾の中へ入った異物は残さず焼いたはずじゃが、シュルトを怯えさせる必要もあるまいよ」
「なるほど。……奥様の体を奪おうなんて、屍人も高望みしたもんですね~」
 真紅の宝剣の力があれば、プリシラは自在に焼きたいものだけを焼ける。自分の体内に入った異物など、真っ先に焼かれて然るべきだ。渡された酒杯にこれ見よがしに口を付けた直後、即座に寄生体を焼き殺したことは想像に難くない。
「では、奥様、お疲れでしょうから私はこれで。アル様もぐったりなさっていましたし、どうぞごゆっくりお休みください」
「うむ。――ヤエ、大儀であった」
 一礼し、部屋を辞そうとするヤエにプリシラがねぎらいの言葉をかける。それを受け取り、ヤエは一層深く頭を下げると、足音も立てずに主の前から姿を消した。
 それからふと、ああも自然にプリシラにねぎらわれたのは初めてのことだと気付く。
 さしものプリシラも、今日のことは大仕事だったと認めてくれたわけだ。ヤエも、単なる侍従にあるまじき働きを求められ、疲労と充実感がとんとんといったところ。
 正直言って、今日一日は最悪の日だったが――悪くは、なかった。プリシラの下、バーリエル邸で働くようになって、一番興が乗った日だったと思える。
「何とも、因果な性質ですね~、私。でも……」
 自分の掌を開閉して、ヤエは短く息をつく。
 楽しかった。悪くなかった。これからも、こんな日が続くならと思わなくもなかった。
 だから――、

「――そこまでだ」

 月が雲に隠れ、虫の歌声も聞こえぬ夜の深淵に、ヤエは背後から声をかけられた。
「――――」
 足を止め、息を止め、ヤエは心の震えを止めて、振り返る。
 声に聞き覚えはあった。ただ、その声がここまで冷然としていた記憶はない。
 そのことと、そもそもの状況を不審に思いながら、ヤエは常の笑顔を作った。
「アル様ですか~? こんな夜更けにどうされたんです?」
「――――」
「今日はお疲れだったでしょうし、ゆっくりお休みだったと思いましたのに。それとも、人を斬りすぎて昂って眠れないとか? でしたら、こちらはよろしくないかと。侍従の子たちならお手付きにしても許されますが、この先は……」
「姫さんの部屋だな。ああ、わかってるぜ」
 静かな口調に遮られ、ヤエは口を噤んだ。そして、またヘラっと笑顔を作る。
 まだだ。まだ、終わっていない。まだわからない。まだ取り繕える。
 まだ、この日々を、時間を、終わらせないでいられるはずだ。
「わかってるならなおさらです。そりゃ~、どうせ夜這いするなら美女ですが、奥様はさすがに難しいですよ。何なら、私がお付き合いしましょうか~? ほら、今日の頑張りでちょっとだけ、アル様のことがカッコよく見えたり……」
「困ったときほどよく喋るんだな、お前。けど、意味ねぇよ。隙は作らねぇ」
「――――」
「もういっぺん言うぜ。この先は姫さんの部屋だ。お前はこんな夜に何しにいくんだ?」
 確信めいたアルの言葉を受け、ヤエは短く息を詰めると肩を落とした。ゆるゆると首を横に振ると、束ねた赤髪が夜の中で残酷に揺れる。
 ここまでと、諦めの悪いヤエの心情がそんな結論を下した。
 誤魔化しは効かない。言い訳も聞く耳持つまい。アルは、全てわかっている。
「私、わりと完璧だったと思うんですけど、どうしてわかったんです?」
「安心しろ、お前は完璧だった。オレがちっとばかしズルして、カンニングしてるってだけさ。……オレも、できりゃぁ信じたくねぇ答えだったけどな」
「相変わらず、アル様の言葉は難しくて、学のない私にはわかりませんね~」
 飄々とした態度で以て、常にプリシラの安全を守るように位置取りする道化ぶった男。アルはいつもヤエを警戒し、そして気遣っていたように思っている。
 それがヤエの狙いを察した敵意だったのか、それ以外だったのかはわからない。わからないまま、ヤエとアルとの関係は終わりを迎える。
「……この場を見逃してくれれば、私、アル様には何の危害も加えませんよ~?」
「代わりに取られるもんがなけりゃ、それを聞いてやったかもしれねぇな」
「ですか~。はい、残念です。でも、それなら――」
 と、ヤエは眉を下げ、違う話題を切り出す素振りを見せながら腕を振るった。瞬間、投じられた刃が真っ直ぐ、アルの胸元へ突き刺さる。
「ぐ」
「アル様のこと、嫌いじゃありませんでしたよ」
 と、苦鳴を漏らし、心臓を抉られて倒れるアルへと慰めにならない言葉をかける。
 躊躇のない一撃、それを浴びたアルの死を見届け、ヤエは小さく息を吐くと、再び後ろに向き直ってプリシラの部屋へと足を進めようとした。
 勘のいいプリシラだ。このアルと自分の諍いを察して起きてこないとも限らない。情けない話だが、彼女が起きたらヤエは詰む。だから、その前に――、
「――仕事を果たしたかった、んですけどね~」
 背後、自分の首筋に青龍刀を当てられ、ヤエは力なくクナイを落とした。ちらと視線を後ろへ向けると、そこには漆黒の兜の男が立っている。
 その胸に突き立ったはずのクナイ、それが床に落ちると、その先端が服の胸元に仕込まれていた板切れに刺さっているのが見える。
 それはまるで、ヤエの投じたクナイの狙いがわかっていたかのように。
「言ったろ? カンニングしたんだよ。お前がオレを殺すタイミングも、全部な」
「わけがわかりません。……私が諦めるって言えば、やめてくれますか?」
「……本気でお前が寝返るつもりなら、考えた。今朝までならな」
 虫がいいとわかりつつの問いかけに、アルは苦しげに不思議な答えを返した。
 今朝までなら話は違ったと。ヤエの提案を、受けるかどうか考えたかもしれないと。
 だが、今は悩むことすらない。そして、その切っ掛けは――、
「グズグズの死体の山で、プリシラがオレを選んだ。だから、オレも選び返す。――ヤエ・テンゼン。お前はプリシラを殺す女だ。二度は殺させない」
「……一度も成功してませんよ?」
「そうだな。それを確定させるために、不確定の芽は全部摘む」
 意味のわからないアルの発言に、ヤエはゾッと怖気を覚えた。それは死を思わせる敵意に対してではない。アルが抱く、他人には理解できない異常な執着にだ。
 使命感ではなく、仕事だからでもない。ヤエは自分の本能と技術に懸けて、この男を殺さなくてはならないと考えた。
「悪いな。オレもお前も、運が……いや」
「し――っ!」
 刹那、ヤエは身を捻り、袖口から飛び出した刃を相手の喉笛へ叩き付けんとする。
 その瞬間、黒光りする刃が届かんとする間際、声が聞こえた。
 声が。
「――星が悪かったんだよ」

 ――翌日、バーリエル邸から一人の侍従が家庭の事情で職を辞した。
 主であるプリシラに一言も告げず、無礼極まりない辞め方であったが、報告を受けたプリシラは「そうか」と一言こぼしたのみで、それ以上は何も言わなかった。
 辞めた侍従は前日の、バーリエル領で発生した異常事態にひどく心を痛めていたと、プリシラに仕える鉄兜の男は噂する。
 彼女の同僚であった侍従たちは、それに強く同情したが、一人、また一人と忙しい日々に埋没し、辞めた同僚への関心は少しずつ薄れていって。
 ――桃髪の少年執事だけが、別れを言えなかったことをずっと惜しみ続ける。

 たったそれだけの出来事として、その存在は歴史の陰に隠されていくのであった。

   15

 ――バーリエル領で起こり、収束した異変。これは、その蛇足のようなものだ。
「――――」
 暗く、湿った空間の奥底に、一つの小さな人影が存在していた。それは厳重な拘束に囚われの身となった、幼い姿をした一人の少女だった。
 暗闇の中、少女は身じろぎすることもなく、静かに時の経過を待ち続けている。
 やがて、その少女の下へと、微かな物音を立てて鼠が集まってくる。鼠といえど、一匹二匹であれば可愛げもある。が、その数はそれどころではない。
 百、二百、千、二千を越えようかという膨大な数の鼠が、暗がりの中で囚われの身となった少女を取り囲み、鳴き声も上げずに足を止めていた。
 幼い少女の体ぐらい、この数の鼠が集まればものの数分で骨も残さず食い尽くせる。しかし、鼠が集まった目的は、決して彼女を獲物とみなしてではなかった。
 むしろ、その逆だ。――鼠は少女を獲物ではなく、特別なモノとして崇めている。
 それは女王へと向ける忠誠、本能の支配だけが成立させる、ありえざる凶気の結実、自由意思を失った鼠たちは、『屍』同然の瞳で少女を見つめる。
 その忠誠、女王へ向けるモノとした表現さえも生温い。それは女王ではなく、神へと向けるモノ――自分たちを作り出した、『造物主』へと向けるモノだ。
 全てを支配し、あらゆるモノを利用して、楽土を作り出し、造物主を迎えよう。
 そんな、思わぬ我が子らの暴走を理解して、しかし、少女は静かに時を待つ。
 それまでは――、
「――要・熟考、です」

《了》

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