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京都市民限定で求人が出ているとあるバイトについて|MF文庫J発売前4タイトル特別試し読み!

2025/11/14

第4話 ささめきの間


  ちゃぶ台を売った金が3万円。赤葉荘の仕事で得た金が5万円……2月もあと一週間だが、お陰で今月はどうにか凌げそうだった。
 しかしバイト探しは上手くいかないし、暇になると赤葉荘での仕事や104号室の幽霊のことばかり考えてしまう。
 きっとあの時はたまたま生還できただけだ。高額報酬に目がくらんで何度もやったらいずれ取り返しのつかないことになる……。
 そう解ってはいるのだが、あと一回ぐらいは経験しておきたいという気持ちもある。何より今の状況では来月を凌げない可能性が高い。
 行ったところで仕事が貰えるとも限らない。すげなく追い返されても受け入れよう。
 僕は支度をして、深村堂へ向かった。

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 深村堂には夕暮れがよく似合う。
 ……というか、夕暮れ時にしか来ていないのだが。
「お、祟やん。久しぶり」
 半月ぶりぐらいに顔を出した僕を深村さんは帳場からにこやかに迎えた。客の気配はなく、期せずしてマンツーマンだ。
「ご無沙汰してます」
「あれから顔見せへんかったけど、何しとったん?」
「何って……バイト探しですよ」
「でも上手くいってへんって顔に書いてある」
 だから言いたくなかったのだ。
「どうしても人を怒らせてしまうんでバイトが長く続かないんですよ。長く続きそうなバイトを探してはいるんですけど……」
 そして様々な求人情報を穴が空く程眺めては自分の末路を幻視して絶望するのだった。
「でも祟、友達がおらんかった分、勉強したんと違うん?」
「なんでそんな言い方するんですか……でも実際、取れた単位はほぼ優でした」
 先日答案を白紙で出した試験だって、目をつぶって答案書いても優を取れる自信があった。
「あのな、祟。この京都でちゃんと勉強しとる大学生というのは希少種なんやで?」
「それは……そうでしょうね」
 まったく褒められている気はしないが。
「だったら塾講師とか家庭教師の仕事なら今からでも引っ張りダコやんか」
「……それは僕の中では禁じ手なんですよね」
 特に家庭教師なんかは裕福な家のバイトが一つ二つあるだけで暮らしが楽になるとされる。
「なんで?」
 深村さんは少女みたいなあどけない顔で訊いてきた。
「理由は色々あるんですが……そもそも大学で何も得られなかった僕が、大学で何かを得るために頑張ろうという子たちに教える資格あると思いますか?」
「卑屈やなあ」
「それに勉強を頑張った果てがこれだと思われたら、生徒のモチベーションにも影響しますし」
「なんでそんなところだけ真面目なんや……その真面目さは最後に食い詰めて、一人で死ぬタイプのやつやで」
 深村さんは呆れていた。いや、引いているのかもしれない。酸いも甘いもかみ分けた懐深い店主だと思って、なんでも開示しすぎたかも。
「わあったわあった。このまま帰してのたれ死にされたらウチも寝覚めが悪い。仕事紹介したるわ」
 深村さんは仕方ないなあという表情でスマートフォンを操作する。きっとあの中には依頼の情報が色々詰まっているのだろう。
「あったあった。四代か五代ぐらい続くお医者さん……の奥さんからの頼みや。六歳の息子さんがおるんやけど、最近『夜になると変な音が聞こえる』『幽霊が話しかけてきてるのかも』とか言い出したらしいんや」
「何かの病気ですか?」
「解らん。ただ医学なら専門家がおるわけで……もしも幽霊の仕業だったら一大事だって」
 夜毎、子供にささやく幽霊か。こないだのあいつといい、幽霊というのは案外さみしがりなのかもしれない。
「……なるほど。でも僕にできるんですか、それ」
「できるやろ。息子さんの部屋に泊まり込んで幽霊の正体を確かめるだけや。ギャラは今回も10万や」
 それだけ貰えたら確かに嬉しいが……今回もまた上手くいくという保証はない。
「三月末にはアパートの家賃だけやのうて、更新料もいるんと違うん?」
 僕は唸った。流石の洞察力だ。
「解りました。やりますよ」
「あー、でも、まだ本決まりじゃないしな。もう決まってたらパーやし、先方がアンタのこと拒否するかもしれへんし」
「ちょっと訊いてみるわ」
 深村さんは電話をかけ始めた。自分のことを深村さんの口から聞くのがいたたまれなくて、耳を塞いで通話の様子を眺めていたが深村さんは終始朗らかな表情だった。
「運がええなあ」
 通話を終えるなり、深村さんは僕に笑いかけた。
「何がです? その様子だと仕事は決まったんですよね」
「『あの赤葉荘の幽霊を撃退した男です』って紹介したら『今すぐにも是非!』やって」
「別に撃退はしてませんよ」 
 それにしても104……お前、結構有名だったんだな。

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 指定された住所は北山駅からほど近くの一戸建てだった。築10年ぐらいの2階建ての家……それでも下鴨のボロアパート暮らしの僕からすれば眩しい場所だった。
 依頼人の配偶者であるところの姫川雄一氏はこの近くで開業しているそうだが、さぞ繁盛しているのだろう。
 僕はインターフォンを鳴らす。
「はい」
「深村堂さんの紹介で来ました。神田です」
「お待ち下さい」
 しばし待つと玄関の扉が開き、三十前後の女性が現れた。
「姫川夏子です」
 院長夫人だから高圧的な人かと想像していたが、柔らかそうな人だった。だがその顔色は冴えず、目の下には隈があった。息子のことで眠れぬ夜を過ごしているのだろう。
「神田さん……本当に急なお願いを引き受けていただいてありがとうございます」
「いえ、僕でお役に立つなら」
「とりあえず中へどうぞ。お茶を淹れます」
 玄関で靴を脱ぐと、リビングルームに案内された。広々として、内装も立派だ。ここなら客を通しても恥ずかしくない。
「すみません。もう少ししたら息子の家庭教師さんが帰るので」
 夏子さんは謝りながらキッチンの方へ向かう。
 六歳にして家庭教師がつく。やっぱり医者の家は違うな……。
 そんなことを思いながら待っていると、スーツ姿の若い女性が入ってきた。最初は開いた手帳を眺めていたが、僕の存在に気づくと怪訝そうな視線を向けてきた。
 自己紹介をしようか迷ったが、その前に急須をお盆に載せた夏子さんが僕らの間に滑り込んできた。
「ああ、菊菜さん。びっくりさせてごめんなさい。こちら、ちょっと雑用をお願いする神田さんよ」
「……神田祟です」
「そうですか。家庭教師の菊菜です」
 菊菜さんの手帳のロゴはウチの大学と同じものだった。学部生か、大学院生か、卒業生なのか解らないが、こういう時まともな人間なら「同じ大学ですね?」とでも話しかけてコミュニケーションを取るのだろう。
 でも彼女は僕にポジティブな興味がなさそうだった。僕に何の魅力も感じていないというか……なんなら「接点を持っただけで損」と思ってそうな表情をしていた。そんな状態で無理に話しかけるほど僕も愚かではない。
「では次回は2日後にうかがいますので」
 菊菜さんは頭を下げると、そのまま出て行った。しかし家庭教師にしてはメイクが派手だし、口調もやや刺々しい。普通のバイト先だと指導されそうなものだが、個人契約なのだろうか。
「ごめんなさいね。菊菜さんはいつもああなので」
 菊菜さんがいなくなったことで、夏子さんもちょっと安堵した様子だった。二人はあまり上手くいっていないのかもしれない。
「おかあさーん!」
 ドタドタした足音を立てながら子供が入ってくる。やや小柄だが、元気そうな男の子だ。
 男の子は僕に気づくと、夏子さんの後ろに回った。
「おかあさん、あのひとだれ……」
 男の子は小さな声でつぶやいた。
「幽霊を退治しに来てくれた神田さんよ」
 夏子さんは男の子を優しく諭すと、僕に向けて彼を紹介する。
「息子の兼備かねみつです。四月から小学校に上がります」
 言葉を交わす間にも彼女の背後から小さな顔が覗いた。六歳の男の子。母親の袖をぎゅっと握りしめ、見知らぬ僕をじっと見つめる。大きな瞳にははっきりと怯えが宿っていた。
「神田さんはね、赤葉荘の幽霊を撃退したんですって」
 途端に兼備くんの眼に光りが宿る。
「え、すっげえ!」
 そして僕の前にやってきて、手やら足やらをペタペタ触る。
 今時の男児の趣味はよく解らないが、彼の目に僕は名うての退魔師のように見えているのだろうか。
「兼備の部屋に案内します」
 夏子さんに案内されて二階へ上がり、兼備くんの部屋に通された。
 そこは想像以上に広かった。十畳以上はある洋室で壁際には重厚な机と本棚、床はフローリング。溺愛されていることが一目でわかる。兼備くんが描いた絵が額に入れられ、写真立てには親子で写ったものがいくつも並んでいる。
「兼備が最近、夜になると変な音がして気持ち悪いと……私も一緒に泊まり込んだこともあるのですが、全然解らなくて……」
「ご主人は何と?」
「勿論、相談しましたが『放っておけ。その内慣れる』と一蹴されてしまいました」
「もしかしてこの仕事、ご主人には……」
 そう訊ねると、夏子さんの表情が硬くなった。
「内緒です。あの人は兼備のことは全部自分で決めないと気が済まないんです……」
 夏子さんの独断の依頼ということで俄然緊張が高まってきた。
「今夜は泊まり込みで調査してほしいと聞いてますが……ご主人が帰ってくる可能性があるわけですよね? どう説明したら?」
「あの人は今夜は、学会のためにやってきた知り合いたちと祇園で飲むと。ホテルも取ってあるそうなので、帰ってこないでしょう」
 きょう日、京都のホテルだって高いし、タクシーで家まで帰った方が出費も抑えられると思うのだが金持ちはそう考えないらしい。いや、だからこそ金持ちなのかもしれない。
「それで……どうでしょうか?」
 そう言われても今のところ何のアテもない。だが僕の口は勝手にこう答えていた。
「お任せ下さい」
 望まれた言葉を返すのって気持ちがいいのだなと解った。

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 それからリビングで三人で夕食を囲んだ。
 一見、ただのシチューとハンバーグだったが、舌に意識を集中させるとどちらにも野菜がたっぷり入っていることが解る。兼備くんの成長のことを考えたメニューなのだろう。
 きっと夏子さんは良い母親なんだな。
 そんなことを余計なことを考えながらハンバーグを箸で切り分けようとしたせいか、突然箸の先が折れた。
「あら、大変」
「すみません。ご飯をご馳走になっているのにお箸を折ってしまって……」
 工芸品に詳しくないので詳細は解らないが、漆が塗られた上等な箸だ。決して安いものではないだろう。
「気にしないで。こんな時のための用意があるから」
 用意?
 僕の疑問をよそに夏子さんはキッチンの方へ行き、贈答用の包装を破って新しい塗り箸を取り出した。
「主人がね……『何かあったらどうするんだ?』ってうるさい人で、何でもスペアを用意しようとするの。お陰でもう収納はパンパンよ」
 それは用意周到というか、心配性というか……。
 夏子さんは塗り箸を簡単に水洗いし、キッチンペーパーで水気を拭き取った上で、僕に渡してくれた。
「ありがとうございます」
 僕が新しい箸の感触を確かめていると、食事に少し飽きた様子の兼備くんが唐突にこんなことを言い出す。
「ねー、ゴハン沢山あるし、菊菜先生も呼ぼうよ。近くなんだから」
 夏子さんは少し困った顔をしている。僕が何か言った方が良さそうだ。
「菊菜先生は僕のことが苦手みたいだから……呼んだら申し訳ないよ」
「でも幽霊に強いんでしょ? 絶対に凄い人じゃん」
 僕はどうにか言い訳を考えてみる。
「幽霊と戦う人間はね、できるだけ普通の人とは距離を置いて生きないといけないんだ。巻き込んじゃうからね」
「そんなに強いのに一人ぼっちなんだ……」
 幽霊の専門家でもないし強くもないが、一人ぼっちなのは本当なので何も言えなかった。
 しかし何か感じ入るものがあったのか、兼備くんは残りの食事を勢いよく食べ始めた。

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「では……何かあったら連絡して下さい」
 夏子さんは深々と頭を下げる。二人は念のため、近くのホテルに泊まるらしい。兼備くんは少し不安そうに僕を見上げていたが、やがて母親に手を引かれ、玄関の方へと消えていった。
 さて、やるか……。
 僕は兼備くんの部屋に向かう。20時を回ったところだが、僕しかいない姫川邸は静寂に包まれている。
 僕は部屋に入るなり、あちこちを調べた。
 机の上には豪華な文具セット、棚には百科事典の揃い。六歳の子どもに本当に必要なのか疑わしいが、おそらくは雄一氏が用意したに違いない。
 天井を眺めていると、隅の方にスポンジのようなものが埋め込まれた箇所があった。スピーカーなのか、防犯装置なのか……さっき訊いておけばよかった。
 念のためベッドの下も覗き込んでおく。収納スペースは充分にあるらしく、ベッドの下は何も置かれていなかった。あるいは兼備くんがかくれんぼできるように敢えて空けてあるのかもしれない。
 そして申し訳ないと思いつつ壁面のクローゼットを開けたら、半分は子供服の入った収納ボックス子供服だったが、空いたスペースには時計やラジオ、靴やラケット、はてはテレビのリモコンまでが詰め込まれていた。
 夏子さんの言う通り、スペアだらけだな。
 僕は苦笑してクローゼットを閉める。そして近くのベッドに腰を下ろそうとする前に、何気なく入り口の方を見た。

 ん?

 目を凝らすとドアに妙な違和感があった。近づいて観察するとドアの角にあたる部分に瑕をパテで埋めたような痕跡があった。数えると痕跡は七つあった。
 まあ、小さい子供の部屋だし、これぐらいの瑕はいくらでもつくだろう。
 そんなことを考えながら視線を切ろうとした瞬間、似ているものを思い出した。
 柱の成長記録、あれにそっくりなのだ。
 しかし妙だ。だとしてもつけた瑕を埋めたりするのか。それに七つ目の痕跡はおそらく兼備くんの身長では届かない位置にある。
 考えを整理しようと思った途端、耳の奥で「キーン」と高い音が鳴った。
 最初は一過性のものだと思った。だが音は途切れず、じわじわと鼓膜を刺す。耳鳴りのようでもあり、外から侵入してきているようでもある。
 これが兼備くんの訴えていた変な音か。
 僕は眉をひそめ、部屋をぐるりと見回したが、幽霊の影も見当たらない。というか、部屋自体には何の変化もない。
 しかし「キーン」という耳鳴りは僕の頭の中で不気味に響き続けていた。
 何か手がかりを探さねば。
 我慢し続けたが耳鳴りが消える気配はない。頭や耳が痛いというほどではないが、不快ではあった。
 照明が発する電子音かと思って部屋の電気を消したが耳鳴りは依然として消えず、 耐えきれなくてそのまま廊下に出た。
 すると、あの音は嘘のように消えた。
 静寂。まるで別世界。
「……なんなんだ」
 耳鳴りに邪魔されずに物を考える余裕ができた。安堵した途端、廊下の壁紙に重ね貼りの痕跡を見つけてしまった。決して大きくはないが、まるで何かを隠すように貼られているようにしか見えない。
 家主に黙って勝手に剥がすべきではない。そう解っているのにヒントになればと思い、そっと剥がす。

 ひめかわしんいち

 明らかに子供の字だった。それだけ確認して僕は壁紙を貼り直す。粘着力がまだ生きていたので多分元通りだろう。
 僕は再び部屋へ戻る。すると耳鳴りは再開した。
 電気をつけようと考えて、思い直す。
 そうだ。兼備くんと同じ条件で体験しないと解らないこともあるかもしれない。
 僕は電気を消したまま、スマートフォンの明かりを頼りにベッドまで行き、静かに寝転がった。
 相変わらず耳鳴りは消えない。でも僕の中である仮説が生まれつつあった。
 この家には兼備くんの前に誰かいた……そしておそらくそれは長男だ。彼の名前は「しんいち」……この家は元々彼のために建てられたものではなかろうか。
 そう思うとドアにあった瑕の痕跡も説明がつく。七つで終わっているのは七歳で亡くなったから……彼の幽霊が兼備くんに悪さをしているとしたら?
 でもそこまで材料が揃っているのに、夏子さんが何も教えてくれないということがありえるのだろうか? まして自分の亡くなった長男が幽霊になったのなら、もっとウェットな感情を出してもいいのではないか……。
 いや、ある!
 夏子さんが後妻なら成立する……彼女はおそらく本当に何も知らないのかもしれない。
 その時、微かに家が軋む音がした。
 勘違いでなければ一階が音の発生源というか……おそらく誰かが家に入ってきた気配だ。
 全身が凍りつく。
 夏子さんたちかと思ったが、戻ってくるなら連絡がある筈だ。僕は反射的にベッドの下へ潜り込んだ。埃っぽい匂いと狭さに呼吸が浅くなる。
 足音が階段を上がってくる。一定のリズムで近づいてくる重い足音に、全身から冷や汗が流れる。幽霊を調査する筈が、現れたのはもっと恐ろしい現実だった。
 僕がベッドの下で必死に息を殺していると……何者かが部屋に入ってきた。

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