第五回:実は私、何を隠そう「許されない恋」が大好物なんです(樋口一葉『たけくらべ』)|実は〇〇な名作文学を、ラブコメ作家・長岡マキ子が、好き勝手に語る連載。
第五回目は明治時代の文豪にして、日本で初めての職業女性作家・樋口一葉の『たけくらべ』を語っちゃいます!
第五回:実は私、何を隠そう「許されない恋」が大好物なんです(樋口一葉『たけくらべ』)
早いもので、このエッセイももう五回目です!
先日、日本で「女性初」の総理大臣が誕生しましたが、今回は近代日本で「女性初」の職業作家になった、樋口一葉の作品です!
一葉といえば、まず思い浮かぶのは旧五千円札じゃないでしょうか?
と書いて、念のため調べたところ、一葉の五千円札の製造が終了したのは令和六年とのこと。去年まで造られていたなら、今でもそこそこ流通してるってことですね、よかった!
なぜ私がこんなに慎重なのかというと……と冒頭からいきなり余談をぶち込みますが、私は以前、小説の原稿で、ヒロインの女の子のセリフを「夏目漱石? あ、千円札の人だよね!?」と書いてました。
ですが、著者校中にふと「あれ? 今が柴三郎で、その前はだいぶ英世だったけど、そういや漱石っていつだっけ?」と思って検索したところ、なんと漱石の千円札は2007年で製造中止になってました!
令和の若者が、物心ついてから漱石紙幣を手にした確率は、極めて低かったと考えられるのです……!
衝撃を受けながら、とりあえず表現を改めて世に出しましたとさ。ヨボヨボ。中高年の方には、このショックわかっていただけますよね?
そんなわけで(?)、樋口一葉の「五千円札」以外の最大の代表作が、今回取り上げる『たけくらべ』です。
この話を一言で説明すると「明治版ロミオとジュリエット」って感じでしょうか!
ただ、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の男女二人は愛し合った末に亡くなってしまいますが、『たけくらべ』の男女二人は、その何十歩も手前を行きつ戻りつして、ついに想いを交わすことなくフェードアウトしてしまうのです。
そんな奥ゆかしさも「明治版」らしい! それでいい! いのち大事に!
改めて『たけくらべ』とは……明治時代の吉原遊廓を舞台に、遊女を姉に持つ美少女・美登利と、いわゆる「生臭坊主」を父に持つお寺の跡取りの少年・信如の二人が、淡い恋心を抱きながらも、それぞれが抱えた事情のためにすれ違ったまま、大人になっていく様子を描いた、甘酸っぱくてほろ苦い青春小説です。
二人が抱えていた事情というのは、近所に住んでいながら通う学校が違うために対立する派閥に属していたり、美登利が遊女になる運命にある一方で、信如は僧を目指しており、美登利のような女性に惹かれることは信条に反するといったことです。
だから、信如は美登利に冷たく接します。美登利は評判の美少女で、いつも遊んでいる仲のいい男の子も美登利にぞっこんだし、その友達も「俺、大人になったらお金稼いで美登利ちゃんを買いに行くんだー!」なんて言うような(ちょっとそれもどうなの)、憧れのマドンナです。
そんな彼女に、なぜか一人だけ冷たく接する少年・信如。美登利は彼が気になってしまいます。僧を目指す、人望のある少年が、なぜ自分にだけ冷たいのか……気になって近づこうとすると、信如はますます美登利を避け、美登利はますます彼が気になる、という悪循環(?)です。
こういう障害があると、簡単にハッピーエンドにならないもどかしさがあって、ラブコメ的に最高ですよね! いわゆる「許されない恋」というやつでしょうか?
いやー、いいですね!
実は私、何を隠そう「許されない恋」が大好物なんです!
惹かれ合うのに叶わない恋……好きになってはいけないと思うほどからめ取られる、苦しい恋心……たまりません!
私が女性でありながら男性向けラブコメ作家になったのは、女性向けの恋愛小説を書くと、このヘキがあまりに出すぎるからという理由もあったりします(!?)
女性主人公は自分と同化しやすいので、私の中に秘められた「許されない恋」への渇望がエスカレートしてしまうんです。
そして、なぜか「私を好きすぎるあまり人生めちゃくちゃになるほど苦しんでほしい」という欲望で、男性キャラをひどい目にあわせているんです……。業が深い! 一生妄想の中で恋愛しといてください!
近年のラブコメ市場では、男性向けも女性向けもイチャラブ系の方が需要があるので、私のこのヘキは封印するしかないのです……。
それに現代では、身分の差もなく、セクシュアリティの多様性も認められているので、まず「許されない恋」の状況を作ることが難しいんですよね。
そりゃ相手の家柄などを気にして子どもの結婚に反対する親は今でもいると思いますよ。でも、個人を重んじる現代社会では「そんな毒親は捨ててヨシ!」が多数派の意見になるため、その程度の障害では「許されない恋」にならないんですよね。
現代で「許されない恋」と言えるのなんて、不倫と近親モノくらいじゃないでしょうかね? その上、それらはどっちも倫理的な禁忌になるので、それを犯そうとする登場人物の人格に読者が疑問を持ってしまい、ピュアな恋物語としては成立しにくい問題があります。
だから「許されない恋」が自然に描けるのは、自由恋愛が許されていなかった時代の文学の醍醐味ですよね。
この『たけくらべ』のように「本人たちは何も悪くないのに、愛し合っても結ばれない運命を持つ二人」だからこそ、せつない恋模様が展開できるってわけです。
ここでちょっと横道に逸れますが……実は私にもあるんです、「許されない恋」の経験が。
それは中一のときで、同じ学校の先輩でした。
このエッセイを第一回から読んでくださっている方はご存じかもしれませんが、私は中高一貫の女子校出身です。だから、先輩はもちろん女性です!
現代なら「別にいいんじゃない?」って話かもしれませんが、三十年前には、同性愛はまだ「薔薇」「百合」などと隠語で呼ばれることが多く、「許されない恋」の空気がありました。
私は中学に入学してすぐに演劇部に入り、中三の先輩に片想いしました。
そのきっかけが、なんとこの『たけくらべ』だったのです!
出来すぎてて作り話じゃないかと思われるエピソードですが、他の仕事でいくらでも創作できる作家が、わざわざエッセイの原稿で思い出を捏造するという行為の極限的サムさから厚顔無恥に目を逸らせるほど、私はメンタルが強くありません……!
そもそも、私がなんで演劇部に入ったかというと。
幼少期から作家を志していた私は、演劇の脚本にも興味がありました。小学校時代の親友が地元の小劇団に所属していて、寸劇の脚本を書かせてもらってる、みたいな話を聞いて「それやってみたい!」と思ったのがきっかけです。
ただまあ、入学した女子校の演劇部はそんなアットホームな感じでは全然なくて、部員は当然のように全員「演者志望」として扱われ、オーディションで落ちた人が仕方なく大道具や小道具といった裏方に回される、というシステムでした。
しかも、その裏方にも脚本などという係はなく、台本は演劇部が代々受け継いできた伝統的な演目のリストから選んで、昔のものを少し手直しして使う、といった具合で、脚本志望が活躍できる部ではなかったんです。なんたるリサーチ不足! やっちゃったね!
余談ですが、私は今でもそういうところがあります。
先日、8時半までに受付をしなければならないがん検診に向かうため、ギリギリ間に合うバスに、ギリギリ間に合う時間に家を飛び出し(ここがもうダメ)、つっかけた靴を履き直しながらバス停まで走って、乗ったバスの車内で問診票を記入していたら(これもおかしい)、なんと受診券を忘れたことに気がつき(お前何しに行くねん)、慌ててベルを押して途中下車して反対側の停留所に来たバスに乗り、トンボ帰りした自宅から発掘した受診券をバトンのように握りしめて全力疾走。なんとか次発のバスに乗れたものの「もうダメだ、遅刻だ……受け付けてもらえなかったらどうしよう」と震える手で、一応問診票の続きを記入しようと封筒を漁ったところ、別票に「受付時間8:40〜9:00」と書いてあって目ん玉が飛び出ました。まず時間がちゃうやないかい!
そんなやらかしにやらかしを重ねてド派手な玉突き事故を起こした結果、なんと受付時間内の8:59に滑り込むことに成功! ブラボー! 神はこの哀れなポンコツに恵みを垂れたもうた!
もうね、あれですよ、グレーです。限りなくブラックに近いグレーです。
そんなわけで、入る部活を間違えたという経験も、私の人生には起こるべくして起きたミスでした。
ともかく私はもう演劇部員になってしまい、いきなりグループ劇の練習が始まりました。
グループ劇は部内でグループを作ってお芝居を発表し合うのですが、私が割り振られたグループの演目が『たけくらべ』でした。
お嬢様女子校の演劇部ということもあるのか、宝塚への憧れが強い演劇部で、一年生も入部してすぐに「男役」と「娘役」を選ばされました。
私は自分が演技することすら考えてなかったので、違う性別なんてとても演じられない、と娘役を選びました(身長的には男役を選ぶべきだったんですけどね。髪をショートにする不文律があったりして、覚悟なく入った者には決断できませんでした)。
私が『たけくらべ』で、初めてもらった役は、町娘。詳しくは忘れましたが、道端で急に倒れる役です。そこへ現れた信如が「大丈夫かい?」と肩を揺さぶり、手当てしてくれます。原作にはないエピソードですが、信如の人望を表すためのものでしょう。
信如役になった中三の先輩は、まさに男役をやるために生まれてきたような人でした。
すらっと背が高く、スレンダーな体形。顔は輪郭がシャープで、口は横に大きく、鼻筋が通っていて、大きくてキリッとした吊り目。役のため、普段からボーイッシュな短髪をキープして、大股でスッスッと歩く姿がかっこよくて。まるで少女漫画に出てくるような、男装が似合う王子様系の美少女でした。
町娘を演じた私は、そんな先輩に、練習のたびに優しく触れられ、耳元で「大丈夫かい?」と囁かれるのです……。「惚れてまうやろーーーー!!」と、心の中のチャン長岡が大絶叫!
こうして、私は校内に多数存在していた先輩のファンの一人になりました。同じく先輩ファンの二年生から「劇で触られたからって、いい気にならないでよね!」と漫画みたいな捨てゼリフを吐かれたりもしました。
……それで?
先輩とのエピソードは、以上です。
もともと演者志望でなかった私は、不合理な規則が多く厳しい活動内容に耐えられず、一年で演劇部を辞めてしまいまして。
その後も、校内で遠くから先輩を見かけるたびに胸をときめかせ、体育祭の写真販売で、先輩が写っている番号をこっそり書いて購入したりして、私の淡い「許されない恋」は、細々とは続きました。
そして、先輩は高三になって部活を引退し、卒業後の文化祭に訪れた際には、セミロングヘアの都会的な美女になっていました。その姿を見たとき、夢から醒めたような気持ちになったのを覚えています。
ああ、私は女の人が好きだったんじゃなくて、少女漫画みたいな「理想の王子様」としての先輩に憧れていたんだなぁと思いました。
先輩の思い出と深く結びついているためか、私は『たけくらべ』を読むと、あの頃の胸に秘められた「許されない恋」の背徳感と、少女漫画のようなピュアなときめきを覚えます。
実際、『たけくらべ』は遊郭という色っぽい舞台で、思春期の少年少女の恋をテーマにしていながら、生々しい性欲の匂いが一切しません。
信如は僧侶を志す真面目な少年で、美登利は快活で男勝りな美少女です。二人は恋心を内に秘めて、両想いでありながら、想いを交わすことなく、それぞれの大人の階段を上り始めます。
前回の『蒲団』を思い出してくださいよ、なんたる違いですか! 片や、一方的に好きだった若い女が使ってた蒲団の匂いを嗅いで、泣きながら興奮するおじさんの物語ですよ!
しかし、これも文学、あれも文学。みんなちがって、みんないい、です。
美登利が純粋な少女であればあるほど、彼女がこれから送ることになる、男たちに性を買われる人生を思って、暗澹たる気持ちになります。
そして、彼女の子ども時代の最後の輝きを愛おしく思うのです。
そうなんです。
どんなにすれっからしな大人の女にも、私みたいなおばさんにも、みんな少女時代があったのです!
少女漫画を読んで、王子様のような男性キャラに胸をときめかせて……。私もいつか、こんな恋をするのだろうか、なんて夢を思い描いたりして。
時には、王子様みたいな女性の先輩に恋心を抱いたりして。
それがどういうことでしょう、いつしか「私のために苦しんで人生めちゃくちゃになってほしい」などという歪んだ欲望を隠し持つラブコメ作家になってしまったのは!
でも、この『たけくらべ』や他の数篇の悲恋もの作品を読むと、一葉もどちらかといえば私側の流派の者なんじゃないかなぁと、ちょっと期待しちゃったりするんですよね。
というか、「許されない恋」が好きな女性って、少なからずその気があると思うんです。
好きになった男の喉元に包丁を突きつけて「私のために人生を台無しにする覚悟はあるか?」と問うてしまうようなメンタルを持つ女性(あくまで比喩ですよ! ほんとにやらないですよ!)が、「許されない恋」にロマンを感じるものです。
だから、昨今のイチャラブモノ全盛のラブコメ市場は、作家も読者も、とても健全だと思います!
一葉が現代に生きていたら、どんな恋愛小説を書いていたんだろうか……。
そんなことを考えながら、令和を生きる私は、これからも極力ヘキを隠しながら、明るく楽しいラブコメを書いていきたいと思います!
長岡マキ子(ながおか・まきこ)
1982年、東京都生まれ、埼玉県在住。慶應義塾大学院文学研究科修了。第21回ファンタジア大賞にて金賞を受賞しデビュー。代表作は『経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。』。上記の通りのポンコツなので、新札の北里柴三郎が旧札の新渡戸稲造に見えて、何度でも五千円札の代わりに出してしまうのが悩みです。
アイコンイラスト/みかきみかこ