第三回:泣いてる顔が可愛くて一目惚れしちゃった(森鴎外『舞姫)|実は〇〇な名作文学を、ラブコメ作家・長岡マキ子が、好き勝手に語る連載。

第三回目も国語の教科書には常連となる、あの超名作『舞姫』(森鴎外)を語っちゃいます!
第三回:泣いてる顔が可愛くて一目惚れしちゃった(森鴎外『舞姫』)
「男を落としたいなら、その人が弱っているときを狙いなさい」
私が高校生の頃、今回のテーマ『舞姫』を現国の授業で学んでいたときに、先生が私たちにくださった、ありがたい教えです。
授業中に何言ってんのよ先生! って話なんですけど、女子しかいない世界でのびのびと思春期を過ごし、これから男性のいる世界へ羽ばたいていく私たち生徒に、人生の先輩である教師として、この教材から何か恋愛の訓戒を与えたいと思ってくれたのかもしれません。
それも納得の話で、実はこの小説、恋愛の最もシンプルかつ、残酷な真理を教えてくれる作品でもあったりするのです。
今回は、この『舞姫』をラブコメ小説として読みながら、この作品が教えてくれる恋愛の教訓について紐解いてみたいと思います!
さて、ここで『舞姫』のあらすじです。前回の『こころ』に続いて、教科書での採用が多いので、ご存じの方も多いでしょうが、改めて。
ときは明治時代。神童として育った太田豊太郎は、大学を卒業して官僚になり、ドイツに留学します。そこでダンサーを生業とする美少女エリスと出会い、彼女の窮地を救うことで親密になりますが、それを面白く思わない同胞に告げ口され、豊太郎は失職。
その後、親友の相沢によって新たな職を得て名誉を回復しかけたところで、エリスの妊娠が発覚。仕事で重用されて帰国の誘いを受けていた豊太郎は、そのことを身重のエリスに打ち明けることができず悩みすぎて倒れ、人事不省の間に相沢がエリスに事実を告げ、エリスはショックで正気を失い、回復した豊太郎は彼女を置いて帰国するのでした……。
いやー、これはひどい!
この物語にラブコメラノベ的なタイトルをつけようと思ったら、「異国の美少女とラブラブになって妊娠させたけど、俺は仕事で成功したいから親友に別れ話させて帰国しました!」みたいな外道丸出しなものにしかなりません。
で、こんな話のどこに冒頭のような教訓を得る箇所があるのかというと、豊太郎とエリスが恋人として肉体的に結ばれるのが、豊太郎が仕事を失って落ち込んでいるときなんですよね。
嗚呼、委(くはし)くこゝに写さんも要なけれど、余が彼を愛めづる心の俄(にはか)に強くなりて、遂に離れ難き中となりしは此折なりき。我一身の大事は前に横(よこたは)りて、洵(まこと)に危急存亡の秋(とき)なるに、この行(おこなひ)ありしをあやしみ、又た誹(そし)る人もあるべけれど、余がエリスを愛する情は、始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我数奇(さくき)を憐み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、鬢(びん)の毛の解けてかゝりたる、その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、恍惚の間にこゝに及びしを奈何(いか)にせむ。
森鴎外『舞姫』(青空文庫)より引用
詳しくは書かないけど、ヤッちゃったのはこのときです。こんなときになんてことを、と非難する人もいるかもしれないけど、エリスのことは最初から好きだったし、僕の失職を一緒に嘆き悲しんでくれる彼女の顔にかかった後毛がなんかエッチで、こっちもメンブレ中でテンションおかしかったんで、思わず押し倒しちゃいました!
友達への報告調に現代語訳をすると、こんな感じでしょうか。
要するに豊太郎が弱ってて判断力がなくなってたから二人は結ばれた、と書かれているわけです。言い訳感ムンムンですけど。
そして、冒頭の教えに繋がるわけです。
当時、先生がこの教えを言った瞬間、教室中に「キャー!」という悲鳴が響き渡りました。
何せ女子校、男ひでり。今振り返るとピュアすぎて顔が熱くなります。
クラスメイトたちは、ある者は推しのアイドルの顔を、ある者は予備校で知り合った他校の男子の顔を思い浮かべて、それから銘々「どうやってターゲットを弱らせるか」の作戦会議が始まりました。
誘拐して自由を奪うとか、下剤を盛ってトイレに篭らせるとか、現実味ゼロの「違う、そうじゃない」のオンパレード!
そんな中、私はというと、当時ほのかな思いを寄せていた社会科の男の先生のことを考えていました。
同時に、あ、ダメだ、と思いました。弱ってるところなんて、教師が生徒に見せるわけないって。
お察しの通り、この恋は当たり前に実らないんですけど、その後の人生を振り返っても、私が惹かれる男性は、仕事が充実して忙しく、余暇は趣味に没頭して生き生きと過ごし、女性が入る余地なんてなさそうな人ばかりだったので、いまだにこの教えがピンと来ていません。
だって、女性は強い男性を好む傾向にあるから、最初から弱い部分を見せている人には惹かれないじゃない?
っていうか、弱ってる男性を見る機会なんて、現実社会ではそうそうなくない?
本来女性の前でかっこつけたいはずの男性が、もしも、自分にだけ弱みを見せてくれるとしたら、それはもう心理的に親密になってるってことなので、落とす落とさないの次元じゃないわけですよ。
大体、「落とす」ってなんでしょうね?
男が女を「落とす」。
女が男を「落とす」。
この両者の意味合いは、たぶん違います。
男性にとっては、それはしばしば「性的関係に持ち込むこと」を意味しますが、女性にとっては「パートナーになってくれること」である場合が多いんじゃないでしょうか?
「行為」と「関係性」。
両者が求めるものの違いです。
冒頭の先生の教えにある「落とす」は、男性目線でのそれを採用しちゃってるので、女性目線での「落とす」についてエリスは未達だったし、その結果、豊太郎に捨てられちゃうわけです。
うーん、残酷!
先生! 私たちは女の子なので、女性が幸せになれるような教訓を教えてもらわないと困ります!
今の私があのときに戻れたら、そのように先生に物申したいと思うわけです。
『舞姫』には、他にも辛辣な恋愛の真実が描かれています。
まず、根本的なことなんですけど、エリスは豊太郎のどこがよかったんでしょうね?
豊太郎の方がエリスに惹かれた理由は、彼女と出会ったときの描写によって、一発でわかります。
この青く清らにて物問ひたげに愁(うれひ)を含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長き睫毛(まつげ)に掩(おほ)はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。
森鴎外『舞姫』(青空文庫)より引用
さすが秀才の豊太郎くん、雅文調で詩的に表現していますが、要するにこういうことです。
「泣いてる顔が可愛くて一目惚れしちゃった」
これで伝わります! と、『プ◯バト‼』の夏井先生も、赤ペンで黒板に大バッテンです!
一方、エリスの方はどうでしょう。豊太郎の容姿がタイプだったのでしょうか?
そうだったとしても、女性は男性に比べて、あまり異性に一目惚れをしないものです。
私は、女性の中では珍しく一目惚れをするタイプなんですけど、それでも純粋に見た目がタイプだからというよりは、その人の話し方や表情、醸し出す雰囲気といった、全体的な印象から想像される人物像にくすぐられることが多いです。
女性の場合、好みのタイプのイケメンと出会って本能的にグッと来ても、その瞬間から理性が猛烈にチェック機能を働かせます。チェック項目は、主に「誠実さ」など、人間性にかかわる部分です。
そうでないと、イケメンに目が眩んで身体を許した結果、妊娠・出産という展開になり、結婚しようと思ったら相手は子どもの養育費も払わずに逃亡……なんて事態が、最悪起こりうるからです。
そして、現にこの豊太郎は、それに近いことをしているわけです!
エリス、やっぱりターゲットにすべき男を間違えたのでは!?
ここでさっきの話に戻ります。
男性の「落とす」は肉体関係を目的とするので、相手のスペック(性的魅力=容姿)が一番重要なのですが、女性の「落とす」はパートナーとしての関係性のスタートなので、求めるものも容姿などの単純なスペックではなく、自分との関係性(どれだけ大事にしてくれるか)になるわけです。
エリスは、家が貧しいため亡くなった父親の葬式をあげる金もなく、所属劇場の座頭を頼ったら、「愛人になるなら金を貸してもいいよ」と言われて絶望します。そこで出会ったのが豊太郎です。
官僚の豊太郎は、庶民に比べて身なりもちゃんとしていたでしょうから、エリスの目から見ても、信用できそう、稼ぎがありそう、という印象だったはずです。
事実、豊太郎は出会ったばかりのエリスに、座頭と違って見返りなしで父の葬式費用を用立ててあげます。関係性の構築をジェントルに行っているわけです。
そういう意味では、エリスの見立ては間違ってなかったし、惹かれた理由もわかるんですよね。
豊太郎は、少なくとも初めは、エリスにとって誠実な男性でした。勉強一筋だったと書いてあるので、おそらく女性経験もゼロだったでしょう。
エリスの方も、父親が厳しかったため、薄給を苦にして愛人業のようなことに身をやつしがちなダンサーには珍しく身持ちが固かったと書いてあるので、男性経験はなかったと思われます。豊太郎目線なので若干疑わしいところはありますが、十六歳という年齢の若さもあるし、信じてあげていいんじゃないでしょうか。
こうして、童貞VS処女の、仁義なき「落とし愛」バトルが開幕したわけです!
この勝負、エリートと美少女で一見イーブンに見えますけど、有利なのは圧倒的に豊太郎です。
ちょっと考えてみてください。街中を歩けば美人だなと思う女性にはそれなりに出会いますが、同じ頻度で東大卒の官僚に出くわすでしょうか? 官公庁でも歩かない限り、ないでしょう。
先ほど「女性が男性に求めるものは単純なスペックじゃない」と書きましたが、スペックはやはり大事です。特に『舞姫』の時代は、まだ男女の平等が発展途上にあり、女性は男性に経済的に頼る必要があったので、地位や財産を持つ男性は、今より一層魅力的だったと思われます。
そのスペックがあった上での「関係性」、なんです。
エリス的に豊太郎はまたとない好物件で、ガッツリ依存してしまったわけですが、豊太郎からすれば、エリスは代えがきく美人。わざわざ夫人として日本に連れて帰るほどでもない……。
この認識の差によって、二人の恋は悲劇的な顛末に至ったように思えます。
いやー、恋愛ってシビアですね。
それにしたって、豊太郎はひどいと思いますが……。
まあ、現代の感覚でラブコメ的に読んだら、『舞姫』はそういう作品になります。チャンチャン!
でもね、ちょっと余談チックになっちゃいますけど、豊太郎がこんな意志薄弱のクズ男に描かれたのには、理由があると思ってるんですよ。
第一回で取り上げた『人間失格』と同じく、この『舞姫』も、私小説的な作品だと言われています。
森鴎外はドイツに留学経験があり、日本に帰国した直後、エリーゼという女性が彼を追って渡日したものの周囲の人々の反対により追い返されるという、『舞姫』に酷似した恋愛スキャンダルまで起きています。
豊太郎は鴎外なんです。
この「エリーゼ来日事件」は、さまざまな研究者によって真相が考察されていますが、私が個人的に最も真実らしいと感じるのは、「鴎外は軍医を辞めてエリ―ぜと結婚するつもりで、自分の帰国に合わせて彼女を日本に呼び寄せたが、周囲の反対が予想以上に激しく、結果的に結婚できなかった」という説です。
ちなみに、なぜ軍医を辞めて結婚するのかというと、当時の陸軍の規定で、軍医は外国人との結婚を許されていなかったという事情があったからです。
どうして私がこの説を推すのかというと、『舞姫』の作中で、豊太郎が「自分の心は処女のようにピュアだった」ということをしきりに主張しているからです。
豊太郎は鴎外なので、きっと鴎外は処女のようなピュアな心で、エリーゼを一途に愛していたと思うのです。長年にわたる勉強ドブ漬けの苦労の末に得た、軍医という地位も名誉もある職をなげうってでも、この人と結ばれたいと思うほどに。
その純な願いを、周囲の反対によって打ち砕かれた恨みで、鴎外は『舞姫』を書き上げた。
そう考えると、処女のようにピュアな心を持っていたはずの豊太郎が、なぜか急に仁義なき恋愛バトルの勝者よろしくめちゃくちゃ自分勝手な男になってしまうのも、なんとなく理解できる気がするんですよね。
鴎外が一番恨んでいたのは、エリーゼとの結婚を反対した森家の人々でも友人でも上司でもなく、最終的にそれに屈してしまった自分自身だと思うのです。
だから豊太郎を、現実の自分よりも外道に描いた。
鴎外はエリーゼを妊娠させていないし、彼女ときちんとした形で結婚するつもりだったかもしれないけど、豊太郎がやってることはもうむちゃくちゃです。
特にむちゃくちゃ不誠実だと思うのが、豊太郎の脳内には最初から最後まで一貫して「エリスを日本に連れて帰って結婚する」という選択肢が存在しないことです。豊太郎は軍医ではないので、それは容易に……ではないかもしれないけど(「家同士の結婚」が主流だった時代なので)、十分実現しうる選択肢だったのに。
こういう点からも、鴎外は、豊太郎を自分よりひどい男に描きたかったのだろうなと読み解けます。
それが純粋な贖罪の気持ちからだったのか、「この男よりは俺の方がまだ誠実だった」と自分を慰めるためなのかはわかりませんが、それは鴎外にとって必要なことだったのでしょう。
作家って、そういうとこありますよね。
私も、自分が女子校の檻に閉じ込められて決して実現することができなかった、高校時代のキラキラな恋愛への憧れとルサンチマンを昇華させるべく、中年になっても学園ラブコメを書き続け、青春の妄想の海を彷徨っています。
かわいそうなので、死ぬまでにはこの執念を成仏させてあげたいものですね!
鴎外は没後百余年。
常世では、毎日エリーゼと笑って過ごせていたらいいなと思います。

長岡マキ子(ながおか・まきこ)
1982年、東京都生まれ、埼玉県在住。慶應義塾大学院文学研究科修了。第21回ファンタジア大賞にて金賞を受賞しデビュー。代表作は『経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。』。作中に森鴎外の研究をしているピュアな男子学生が出てくるので、今回のエッセイを楽しんでくださった方はよかったら読んでください!(鴎外の話はそんなに出てこないけど)
アイコンイラスト/みかきみかこ
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