『ようこそ実力至上主義の教室へ 3年生編2』先行試し読み 1/3
〇七瀬翼の独白
「どうしてこんなことに───」
病室で意識なく眠る彼の傍で、私は静かにそう呟く。
「彼は遷延性意識障害。そう診断されたそうですね」
感情の読めない声で事実を淡々と述べると、ベッドに取り付けられたネームカードの『松雄栄一郎』と書かれてある部分を、そっと撫でる男の人。
遷延性意識障害。分かりやすく伝えるなら植物状態。
目を開けたり呼吸は出来るものの、意識が無く周囲への認識や反応がないことを指す。
発症から数週間、数か月以内であれば意識が回復する可能性はあると病院の先生は言っていたけれど、けれど……その望みは薄い。
「松雄くんはとても心優しい人だったそうですね」
「……はい……。私が……私が栄一郎くんの異変に気付いていればこんなことにはならなかった、いえ……こんなことは絶対させなかったのに……」
悔しくて、悲しくて、とめどなく涙が溢れ出る。
「この世は優しさだけでは生きていけない。いえ、むしろ食い物にされてしまう。度し難いほどの悪鬼たちによって───」
男の人はそう呟き、微笑みながら私の方を振り返りました。
「この世はギブアンドテイク、それは分かりますね?」
「はい。手厚い保護には感謝しています」
病院をたらい回しにされた結果、最終的にこの人が受け入れ先を探してくれた。
もしあと30分でも遅れていれば命そのものがなかったかも知れない。
「私に何をしろと言うんですか?」
「恨みを晴らすためのチャンスをあなたには持ってきました」
「……チャンス……ですか」
「復讐すべき相手に近づくための方法を、伝授いたします」
そう言い、男の人は『入学届』と写真を簡易テーブルに置いた。
「これは……?」
「高育に進むことが、相手に近づける唯一の方法───」
「……その前にお名前を聞いていませんでした……あなたは?」
「失礼。私は月城と言います。あなたのことも、そしてここで眠る松雄くんのことも、こちらは小さい頃からよく存じ上げていますよ」
「本当は何も知らないのに、近づいてくる大人は沢山見てきました」
「白銀さんはお元気ですか?」
その名前を聞き、平静を装う私の身体が無意識に反応してしまう。
私たちのことを小さい頃から知っている。
それが本当のことであると一瞬で理解させられてしまった。
「白銀先生をご存じなんですね」
「若い頃は随分とお世話になったものです」
見た目は白銀先生と変わらない年頃に見える。だとすれば、その『お世話』という部分が私たちとは全く違うものなのだと簡単に想像できました。
「あなたは悪ではない。しかし私がいる世界の住人はどこを見渡しても悪ばかり。正義の皮を被った悪か、ただただ純粋な悪か。しかしあなたは違います、七瀬翼さん。凡庸ながらも優秀で、凡庸ながらも未熟で、凡庸ながらも才能を持っている。そういう者こそ、時に悪を打ち倒すことが出来るというもの。これはこの世界で生きる私の持論です」
「月城さんと言いましたね。この男の子がその悪の関係者なんですか?」
写真に写ったのは私と歳が変わらなそうな男の子。
「彼は綾小路清隆。あなたが追うべき復讐相手に繋がる重要な鍵です。今は一足先に高育に入学し、一般学生に紛れ生活を送っています」
「私に近づけ、と?」
「ええ。指示は随時私から出します。全ては復讐を成し遂げるため。臨機応変にいきましょう。ただし気を付けてください。この少年は無機質ながら卓越、洗練された嗅覚を持っています。あなたが不用意に近づけばその正体を容易く見抜くでしょう」
「では、どうすればいいんですか?」
「真実の中に嘘を紛れ込ませるんです。少なくともあなたは松雄栄一郎を慕い、そして彼の弔い合戦をしたいと思っていることは紛れもない事実。なら、それを土台にして新たな人格を構築し、本意本質を掴ませないように立ち回ればよろしい。彼は当然あなたに疑問を持つでしょうが、深く踏み込んでくることはしない。取るに足らない存在だと認知するからです」
「最後に1つ聞かせてください。どうして私なんですか?」
「あなたが丁度良い立ち位置にいるからですよ。明確な左右ではなく、どちらに転ぶか分からないからこそ、私が送り込むに相応しい人間だと判断しました」
「なら、私が綾小路を受け入れたら───?」
「それはそれで、その時に考えることにしましょう」
やってくれますね? そう問われ、私は間を置かず頷いた。
この時のやり取りを、私は今でも夢を見るように思い出すことがある。
あの時、少なくとも私は病室で復讐に心を傾けていた。
栄一郎くんを追い込んだ綾小路篤臣を、引きずり出すつもりでいました。
けれど今は少し違ってきている。
綾小路先輩を助けたい。
本心から、そう思うようになってきている。
彼がこのまま高育を卒業すれば、純粋な悪の道へ突き進むからだ。
栄一郎くんのような犠牲者が、彼の手で生み出されてしまう。
私はそれを望まない。
なら───その危機を知る私がそれを止めなければ。
私は今日も、そのための小さな鍵を、深い森の中で探し続けている───。