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『君死にたもう流星群』天野河星乃生誕祭2025 特別ショートストーリー『祭りのあとに』

2025/07/07


『祭りのあとに』

 「お母さん、浴衣の着方、これで合ってる?」
 「んー? たぶん大丈夫」
 「たぶんじゃ困るの」
 鏡の前で、少女はしきりに自分の格好を確かめる。
 白地に桃色の花びらをあしらった浴衣は、清楚さと可憐さを併せ持ち、この日のために新調した勝負服だ。
 腕から下がった袖の布地が、少女が動くたびに揺れて、まるで蝶の羽のように空気を揺らす。

 惑井葉月、十二歳。

 「葉月、冷蔵庫からビール出してー」
 「自分で出して。これからデートなんだから」
 「デートねぇ」
 「デートです」
 少女はつんつんとした様子で返す。
 「それに今日は勝負下着なんだから」
 「誰に見せるつもりさ」
 「もちろんお兄ちゃん」
 「ハア……」母親はベコリと空き缶をつぶし、のっそりと立ち上がる。
 冷蔵庫を開けると、新たなビールを取り出し、それを二本ばかり抱えてソファーに戻る。
 プシュッと炭酸の抜ける音が響く。
 「ごく、ごく……ぷは~っ」
 「もう、昼間からお酒飲みすぎ」
 「もうすぐ夕方さー」
 ぷりぷりと娘が怒ったところで、チャイムの音が鳴り響く。
 「あ、お兄ちゃんだ!」
 怒っていた少女の顔が、ぱっと輝く。
 財布とハンカチの入った巾着袋をひっつかむと、 翼のように浴衣の袖をなびかせ、玄関までとてとてと走る。「よっこらせ」と母親も重そうに腰を上げる。
 少女がドアを開くと、そこにはすらりと背の高い少年が立っている。
 「お兄ちゃん!」
 「へえ、浴衣か」
 「ど……どう?」
 少女は上目遣いで尋ねる。
 「似合ってるよ」
 「ほんとう!?」
 「ああ」
 「へ……ヘへへ」
 少女は顔をほころばし、ひらりとその場で回転してみせる。
 一拍遅れて、母親が顔を出す。
 「おー、大地―、悪いねー。今日は葉月よろしくなー……ひっく」
 「真理亜さん、飲みすぎですよ」
 「おまえまで葉月みたいなこと言うなよー。うっぷ」
 「お兄ちゃん、酔っぱらいは放っておいて早くいこ?」
 「それじゃ真理亜さん、行ってきます」
 「遅くなりそうなら電話なー」
 「了解です」
 すると少女は赤い顔でもじもじしながら、
 「お母さん、今夜は私、帰らないかも……イテッ」
 ペシリと少年は少女の頭をはたき、
 「アホか」
 「お兄ちゃんは乙女心が分かってない。葉月は来年から中学生だよ?」
 「つまりまだ小学生だな。ほら行くぞ」
 少年が歩き出すと、「あ、お兄ちゃん、待って!」と少女は慌てて追いかける。カコン、カコンと下駄の音が響く。
 「お母さん、行ってきまーす」
 「大地とはぐれるんじゃないよ」
 「はーい」
 少女は少年に追いつくと、その手をしっかりと握りしめる。
 少年が手を握り返すと、少女はまた「へへへ」と笑った。

         〇

 「おい、あんまりひっつくな」
 「だって、お兄ちゃんとはぐれるなってお母さんが」
 「手を握ってたらはぐれないだろ」
 「抱きあってたほうがはぐれないよ」
 「歩きにくいわ」
 他愛ないやりとりをしながら、二人はぴっとり寄り添って歩いていく。
 祭囃子が聴こえ始める。道行く親子連れや、浴衣姿の女性。神社の鳥居が見えたころには、人波はかなりのものになっていた。
 「あ、お兄ちゃん、リンゴ飴! あっちはチョコバナナ!」
 「こら、走るな」
 「かき氷と綿アメもある~!」
 「甘い物ばっかりだな」
 「どれにしよっかな~」
 「縁日の食べ物って、基本コスパ悪いからな。かき氷と綿アメは特に」
 「じゃあチョコバナナ!」
 少女が大きな声で叫び、露店に駆け寄る。カコン、カコンという下駄の音が、神社前の石畳に響く。
 「チョコバナナ、一本ください」
 「まいど!」
 ねじりハチマキをした中年男性が、できたてのチョコバナナを差し出す。少年はそれを受け取り、すぐに少女に渡す。
 「ほら、葉月」
 「わー、おいしそう~」
 チョコレートでコーティングし、カラフルなトッピングをまぶした縁日定番の果物菓子を、少女は宝物のように眺める。
 「はい、あーん♡」
 「僕はいいよ」
 「あーん!」
 少女が大きな声でチョコバナナを差し出す。少年は困った顔で、少しだけかじる。
 「チョコバナナなんて、小学生以来だよ。こんな味だったっけ」
 「はい、じゃあ今度はお兄ちゃんが私に『あーん♡』する番」
 「なんでだよ」
 「だって順番でしょ?」
 少女は少年に突き付けるように、チョコバナナを差し出す。先端には、少年がかじったばかりの歯形がついていて、白いバナナの果肉が露出している。
 「……間接キス♡(ぽっ)」
 「いいから口を開けろ」
 少年は呆れた顔でバナナを差し出す。
 「『あーん♡』って言って」
 「あーん」
 「もっと甘い声で。恋人同士でささやく感じで」
 「注文が多いな。……あーん」
 「あ~~むっ」
 ぱくり、と少女はチョコバナナをかじる。リスのように頬袋を膨らませ、もぐもぐと咀嚼する。
 「うまそうに食うなぁ」
 「お兄ちゃんの味がする」
 「おいやめろ」
 少女は喉を鳴らして飲み込むと、残ったチョコバナナをペロペロとアイスキャンディーのように舐める。
 「次は綿アメを食べたいな」
 「もう『あーん』はしないぞ」
 「え~~!! デートなのに~!」
 「デートなのか」
 「デートです」
 少女は自信満々に断言すると、チョコバナナの残りを口に放り込む。
 「お兄ちゃんは何か食べないの?」
 「そうだなあ……食うなら焼きそばか、たこ焼きか……」
 「たこ焼きがいい!」
 「そうか。じゃあたこ焼きにするか」
 「たこ焼きをフーフー♡して、あーん♡するプレイができるから!」
 「焼きそばください」
 「ちょっとお兄ちゃん、聞いてる~!?」
 「付き合いきれん」
 少女の言動に辟易しつつ、少年は焼きそばを注文をする。
 「焼きそばフーフーしてあげる」「やめろ」「照れなくてもいいって」という問答を繰り返しつつ、少年は焼きそばを平らげる。その間に少女は綿アメとかき氷とベビーカステラを平らげ、今はリンゴ飴を舐めている。甘い物ばかりだ。
 いくらか腹ごしらえも済んだころだった。

 「──あれ、平野君?」

 ふいに、声をかけられる。振り向くと、そこには二人の少女が立っている。一人は髪を三つ編みにした眼鏡の少女。
 「えーと……」
 「あ、同じクラスの宇野です」
 「あー、たしか……」
 少年は記憶をたどり、「委員長の?」と訊き返す。
 「そう。図書委員もやってるけど」
 「そっちは……」
 宇野の隣には、もう一人、少女がいた。
 「…………」
 夏祭りには似つかわしくない、黒ずくめの服装の少女。長い黒髪と、分厚い前髪から覗く無機質な視線は、まるで柳の木の下にいる幽霊を思わせる。
 「同じクラスの黒井さん。副委員長だよ。図書委員もやってるけど」
 「……そうだっけ」
 宇野に紹介されても、少年はピンとこない。
 「ほら、冥子。クラスの平野君」
 「…………」
 「もう」
 宇野は呆れたように唇をとがらす。黒井という少女は、友人の言葉が聴こえてないのか、ただじっと少年を見つめる。出会ってからまだ一言も言葉を発していない。
 「けっこう同じクラスの子も来てるよ」
 「そうなのか」
 「…………」
 「そっちは妹さん?」
 「あ、いや近所の子で……母親同士が知り合いで、今はちょっと預かってる」
 「…………」
 「もうすぐ花火の時間だよね。平野君も見ていくんでしょ?」
 「あー、どうしよっかな」
 「…………」
 宇野と少年が話す間、黒井は何も話さない。ただ、無言で少年を見つめる。
 (なんだこいつ……)
 「――お兄ちゃん」
 そこで少年の手が、くいっと引かれる。
 「ん?」
 「そろそろ……」
 「あー、悪い悪い」
 宇野と話し込んでいて、少年は幼なじみの存在をほったらかしていたことを思い出す。
 「悪いな、今日はちょっとこいつの面倒見てるから、このへんで……」
 「あ、こっちこそごめんね、引き留めて」
 「じゃあな」
 「うん、じゃあね」
 「…………」
 最後まで黒井は一言もしゃべらなかった。
 「もう、お兄ちゃんってば!」
 少女がぷりぷりと怒る。
 「悪い悪い。でも話してたの二分くらいだろ」
 「そうじゃなくて~!」
 少女はフグのように頬を膨らます。
 「私というものがありながら、どうして他の女にデレデレするの~!?」
 「べつにデレデレしてない」
 「でも鼻の下を伸ばしてた!」
 「伸ばしてない」
 「お兄ちゃんには許嫁としての自覚が足りない」
 「いつ許嫁になった」
 「一年生の七月から」
 「よく覚えてるな」
 「指切りした」
 「そうだったか?」
 「誓いのキスもしたよね」
 「しれっと事実を捏造するな」
 少年は呆れて肩をすくめる。
 「そうだ、花火見るんだろ」
 「そうやってすぐはぐらかすー」
 「見ないのか?」
 「見るけど」
 少女はまだ怒った様子だったが、腕時計の時刻を確認し、「あ、もう始まっちゃう!」と声を上げる。
 「お兄ちゃん、急ご」
 少女は少年の手を引き、急いだ様子で歩き始める。
 「おい、どこ行くんだ。花火ならここから見えるだろ」
 「へへ~、いいとこがあるの~」
 少女は下駄を鳴らしながら、少年の手を引いて、神社の奥へと歩いていく。鳥居を抜け、やや脇道にそれたあとは、坂道を登っていく。道も薄暗い。
 「ああー、下駄って歩きにくい~!」
 「だったら坂を登るなよ」
 「でも、この先がいいとこなの」
 「いいとこってどこだよ」
 「ひ・み・つ♡」
 「アホか」
 「あー、鼻緒が食い込んで足痛い~!」
 少女はぼやきながらも登っていく。細い坂道はなかば獣道のようで、石が多くて歩きにくい。登り切るころには、少女は「も~やだ~」と半分泣き顔になりながら、足を引きずるように進む。
 「おい、足痛いんならもうやめとけよ」
 少年はたしなめるが、少女は「あ、ここ、ここ!」と嬉しそうに声を上げる。
 「へぇ……」
 そこは、山の中腹にある、ちょっと開けた場所だった。一応ベンチは設置してあるが、かなり古い木製で、びっしりと苔むしている。人影はない。
 「こんなところがあったのか……」
 少年は、目の高さにある木々の枝をはらいつつ、少女とともに奥へ歩いていく。
 そこにはベンチと同じように苔むしたテーブルがあり、その先にさびた看板がある。何かの慰霊碑かモニュメントだろうか。向こうには月見野市の夜景が見え、無数の家々の明かりが星空のように広がる。
 「ここ、穴場なんだよ。友達に教えてもらったの」
 「確かに穴場だな。でも蚊が多いぞ」
 「あ、虫よけスプレー忘れた!」
 「あとでかゆくて大変だぞ」
 まとわりつく蚊をはらいのけながら、花火が上がるのを待つ。予定時刻まではあと五分ほどあり、少女は少年にしなだれかかってくる。
 「おい、くっついたら暑いだろ」
 「今なら誰も見てないよ」
 「どういう意味だ」
 相変わらずのやりとりをしながら、少女は少年の腕に抱きつく。
 それから少し、しんみりした声で、
 「──ねえ、お兄ちゃん」
 「なんだ」
 「あそこにある星、分かる?」
 少女は夜空を指す。
 「ん? どれ?」
 「あれ。こと座のベガ」
 「もちろん分かるさ。織姫だろ」
 「じゃああれは? ちょっと斜め下に下がった星」
 「わし座のアルタイルだろ。彦星だな」
 「私が初めて覚えた星の名前なんだ」
 「そうなのか」
 「お兄ちゃんに教えてもらったんだよ」
 「そうだったか?」
 「私が、おじいちゃんのお通夜で泣いていたとき」少女は遠い目で語る。「お兄ちゃんがそばにやってきて、こう言ったの。──哀しいことがあったときは、星を見るといいって」
 「ああー。弥彦流一の言葉だ。宇宙飛行士の」
 「星はいつでも同じところで光っているから、なんだか見守られているみたいで、元気が出るって」
 「言ったかもな」
 「そのとき教えてもらったのが、こと座のベガと、わし座のアルタイル──織姫と彦星。この二つの星は天の川に阻まれて、年に一度しか会えない」
 「七夕伝説だな」
 「そのときもお兄ちゃん、こうやって手を握ってくれた」
 少女は少年の手を握りしめる。まるで恋人のように、指と指をからめて。
 「お兄ちゃんのおかげで、私、元気が出たんだよ」
 「……そうか」
 「あのね、お兄ちゃん。私──」そのとき。

 轟音が響き、夜空に巨大な花が咲いた。

 「あ……」
 「始まったな」
 ひとつ、またひとつ。
 子犬のうなり声のような音が響き、わずかな間のあと、ドーンと音が響く。
 「ここ、よく見えるな」
 「でしょでしょ」
 「蚊が多いけど」
 「それはごめん」
 「花火って、少ない予算で経済効果があるから、けっこうコスパ良いらしいな」
 「もう~ロマンチックなところなのに~!」
 「なんで怒るんだよ」
 二人は手をつなぎながら、目の前で咲く大輪の花火を見つめる。花が開くたびに、二人の姿が木々の間でシルエットになる。
 「きれいだね」
 「ああ」
 やがて、花火はクライマックスとなり、次々に咲き乱れる。
 二人の姿が、花火の光で明滅し、少女の横顔も白く輝く。
 花火が終わると、あたりは急に静かになった。二人のいた木々の中も、にわかに暗くなる。
 「すごかったね」
 「そうだな。思ったより楽しめた。……帰るか」
 「うん」
 二人は踵を返し、帰途につく。
 すると、
 「あいたっ」
 少女が立ち止まり、うずくまる。
 「どうした」
 「ちょっと、足が……」
 少女の下駄を履く足は、鼻緒の部分が少し赤くなっている。
 「鼻緒ずれか。坂道なんて上るから」
 「うう~。痛い~」
 少女は涙目で足を押さえる。
 少年はため息をつき、
 「仕方ないな」
 少女の前で、少年がひざまずく。背中を見せて、両手を後ろ手に広げる。おんぶしようという姿勢。
 「え?」
 「ほら、足痛いんだろ?」
 「い、いいの?」
 「遅くなると真理亜さんが心配するぞ」
 「う、うん」
 少女は、恐る恐るといった様子で、少年の肩に手を伸ばす。白くて細い手が、少年の首に絡む。
 「ほら、もっとちゃんとつかまれ」
 「う、うん」
 少女が体重を預けて、少年の背におぶさる。
 少年は立ち上がり、少しだけ体勢を直したあと、歩き始める。
 「下駄、脱がせたほうがいいか?」
 「ううん、だいじょうぶ」
 「揺れて、痛くないか」
 「……だいじょうぶ」
 少女は小さな声で返事をする。その顔は少し赤い。
 花火が終わったあとの神社は、人波がゆっくりと引き始め、にぎやかだった夏祭り会場は静けさを取り戻していく。
 喧騒と寂寥が混ざり合う、祭りの後。
 縁日の屋台は撤収を始めている。売れ残りをさばこうと、「たこやき半額!」という呼び込みの声が響く。
 「そうだ、真理亜さんのお土産、どうする?」
 「…………」
 「葉月?」
 少女からは、「すー、すー」という寝息が聞こえる。
 「やれやれ……」
 少年はなるべく揺れないように、少女を背負って歩き続ける。
 花火が終わり、夜空ではまた星が明るさを取り戻す。天の川が空を縦断し、二つの星を分かち続けている。
 「織姫と彦星は、天の川に阻まれる……か」
 何気なくつぶやくと、
 「あ……」一瞬、立ち止まる。
 夜空に、すっと白い筆を走らせたように、光が横切る。
 (今の……国際宇宙ステーション、かな……)
 そのとき、少女がつぶやいた。
 「おにい……ちゃん……」
 少女の吐息が、首元にかかる。
 「すき……」
 少年はくすりと微笑み、再び少女を背負い直す。
 少女が最後に食べたリンゴ飴の甘い香りが、鼻腔をくすぐり、
 「だいすき……」
 それは甘い寝言とともに、祭りの喧騒の中に溶けていった。

   (了)

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